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インタビュー

「いつか娘に会えるよう、胸を張って生きていきたい」――生みの母の気持ち

特別養子縁組は、さまざまな事情から生みの親と暮らせない子どもと、生みの親に代わる親となりたいと願う育て親とがいて、初めて成り立つ制度です。生みの母は、どんな気持ちでわが子を育て親に託すのでしょうか。

生まれ育った北日本の町を離れ、東京で働き始めて10年になるAさんは、職場の同僚だった妻子ある男性との子どもを妊娠。気付いた時は妊娠6カ月でした。出産まで考え抜いた末、民間の養子縁組あっせん団体を通じ、生まれてすぐに娘を養子縁組に託しました。委託から1カ月ほど経ってから、すでに仕事に復帰していたAさんに話を聞きました。

――どんな経緯でわが子を養子縁組に託そうと思ったのですか?

避妊には細心の注意を払っていたのですが、いつも飲んでいたピル(経口避妊薬)を数日間飲んでいなかった時期に妊娠してしまいました。もともと生理不順だったこともあり、気付いたときには中絶できる週数を過ぎていました。職場にも友人にも一切言わず、インターネットで見つけた妊娠葛藤の相談に応じる「アクロスジャパン」(※)にコンタクトし、メールでのやりとりを重ねたすえ、代表の方と会い、最終的に心を決めました。

――アクロスジャパンからはどんな説明があったのですか。

出産費用は保険を使うとほとんどカバーされ、自分で負担するのはベッド代などの差額分だけでいいことや、産んだ後に働きながら自分で育てる場合に利用できる行政の制度、生活保護の制度についても教えてもらいました。どうしても自分で育てられない場合には、特別養子縁組という制度があることも、そこで詳しく知りました。

――自分で育てようとは思いませんでしたか?

何度も思いました。当時付き合っていた恋人(おなかの子の父親)に話すと、自分には経済的な支援はできないけれど、郷里で産んで、大きくなったら東京に戻ってきて働けばいいと言われました。郷里の母親に打ち明けると、最初はとても怒られましたが、「助けるから帰っておいで」と言ってくれました。

――それでも、やはり養子縁組に託そうと思ったのはなぜでしょうか。

故郷の母親も働いており、生活は決して楽ではありません。子どもが小さいあいだ、誰が面倒を見るのだろうと思いました。母親の申し出は現実的ではありませんでした。

私の両親は記憶もないほど幼いころに離婚し、父親の思い出がありません。母は女手一つで私と姉を育ててくれましたが、仕事を何度も変え、そのたびに引っ越しをしました。十代の頃に一時、母親に恋人ができたことがあります。家族の生活はその男性を中心に回るようになりました。結局、母親はその恋人と再婚しなかったのですが、私はその人がいる家に帰るのが嫌で、母親との間に距離もできました。心の底ではずっと父親の存在にあこがれていました。自分の子どもにはあんな寂しい思いをさせたくない。愛情をいっぱい注いでくれる家族のもとで育ってほしいと思いました。

それから、これは自分のエゴですが、10年近く続けてきた仕事をやめたくなかった。子どもの頃からの夢だったし、やっと見つけた自分が輝ける場所だったからです。唯一の心のよりどころだった恋人とも別れたくはなかった。ひとまわり以上年上の彼に父親像を求めていたのかもしれません。

――簡単な決断ではなかったと思います。

アクロスの代表と会い、すべてを話して気持ちはだいぶ楽になりました。それまで友人や同僚など、そばにいる誰にも相談できなかったんです。それからも、娘を産むまでずっと考え続けました。考えれば考えるほど揺れました。自分で育てられるようになるまで施設に入れるという選択肢があることも知っていましたが、それだけはしたくなかった。会いたい時だけ会いに行くというのは親の身勝手だという気がしたのです。

――養子に託す際に団体側にお願いしたことはありますか。

きょうだいがたくさんいる、温かい家庭に託してほしいと伝えました。アクロスは、男の子が3人いて、娘がほしいと願っているご夫婦を選んでくれました。最初の1年間は毎月、その後も希望すれば団体を通じてプレゼントや手紙を送ることができ、子どもがどんなふうに育っているかを知らせてくれると聞いて、安心しました。

――娘さんが生まれたあともしばらく母子同室だったそうですね。

5日ほど入院していて、毎日お乳を与えました。娘のふわふわした感触、甘いミルクのにおいを今でも覚えています。自分の中から生まれてきた娘は、それまでの寂しかった人生を満たしてくれる気がしました。

――心が揺れませんでしたか。

さすがに娘を託した次の日の夜、一人で部屋にいたら眠れなくなり、アクロスの代表に泣きながら電話しました。代表は私が落ち着くまで、静かに話を聞いてくれました。電話を切った後、すぐにメールが届きました。そこには、娘を委託した日の様子が書かれていました。「……奥さん(育ての母となる人)は『ずっとあなたを待っていたのよ』と泣きながら話しかけていました。ご主人はアメリカに住む弟にスカイプで電話をし、あなたの写真を見せて、『この人が娘を大事に生んでくれて、僕らを選んでくれたんだよ』と嬉しそうに報告していました……。次はあなたが幸せになる番よ」と書いてありました。

――養子縁組に託したことに後悔はありませんか。

委託当日や翌日は気持ちも不安定でしたが、代表のメールを読んで、ようやく落ち着きました。娘がこれほど強く待ち望まれていたことを知り、娘が幸せになれると実感できたのが大きかったです。親ですから、わが子の幸せがいちばんですよね。娘が大きくなって、いつか会いたいと言ってくれたらうれしい。そのとき胸を張って会えるよう、がんばって仕事は続けていくつもりです。

――将来の夢はありますか。

いつか結婚したら、すぐにでも子どもがほしい。そのときこそ、子どもに愛情のすべてを注ぎたいと思っています。

聞き手:後藤絵里(朝日新聞GLOBE)

私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。

すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。

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