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インタビュー

「子どもが家庭で育つ社会に向けて」ロジャー・シングルトン卿 講演

日本子ども虐待防止学会 第22回学術集会 おおさか大会

2016年11月25日

日本財団 スポンサードセッション
「子どもが家庭で育つ社会に向けて」

英国 バーナードス元代表(CEO)ロジャー・シングルトン卿

私はこれまで、英国の児童虐待防止学会や国際会議などで話しをする機会がありましたが、こうした関連する分野の各専門職の方々が一堂に会する場でお話をさせていいただくことは、とても重要だと思っております。「弱い立場の子ども達の施設入所をどうすれば減らせるのか」ということについて、想像力とご関心をお持ちいだいたこと、私が日本に訪問できる機会をくださったことに感謝申し上げます。

 ◇ バーナードスとルーモスでの2つの経験

これから、私が経験した2つの組織についてお話をさせていただきます。
1つは、英国のNGOであるバーナードスでの経験です。もともと、入所施設での子ども達へのケアを提供していた組織から、家庭、里親家庭で、養子縁組というかたちで子ども達を支援することに姿を変えていきました。
2つ目は、もう一つの英国のNGOであるルーモスでの経験です。バーナードスでの経験は歴史的な部分もありますので、いま現在のルーモスでの経験も合わせてお伝えします。また、他の国でどのような取り組みがなされているかもご紹介します。
実は数カ月前に、日本財団とルーモスは数名の日本の国会議員の方々と児童相談所職員を対象とした英国視察研修を企画しました。そのとき私たちは、日本の国会で児童福祉法改正を検討中であったことを知りました。「家庭養育を原則とする」という改正です。そして、2016年5月27日、その法律が成立したとお聞きしました。この重要な法改正が、弱い立場の子ども達のためになりますように。そして、これから皆さまにお伝えする私の経験が、この法律を実施していくための役に立つことを願います。

バーナードスとルーモスの日本語訳はこちらから
バーナドスとルーモス.pdf

◇ 100年を経て脱施設化したバーナードス

まず、この二つの組織についてご紹介いたします。
バーナードスは1866年、当時医学生であったトーマス・ジョン・バーナードが創設いたしました。彼はダブリン生まれで、医療伝道師となるべく世界を旅しようとロンドンに向かいました。ところが、ロンドンでは厳しい路上生活を強いられている子ども達を目の当たりにし、愕然としたのです。彼は予定していた中国に行くのを止め、路上での生活を余儀なくされている子ども達を助ける組織を創設しました。そして、そのための施設を作り、子どものケアをし、教育・職業訓練も受けることができるようにしたのです。
バーナードは家庭での子どものサポートが重要であると信じていましたし、初期には里親養育も推進しましたが、この段階では主に入所型の施設ケアを行いました。当時は名称も「バーナードスホーム」でした。それがこの組織の最初の100年間でした。
1974年、私はバーナードスにディレクターとして入りました。そして1983年には代表に就任いたしました。その頃までには、この組織は乳児院を閉鎖していくことを決めていました。さらに、より年長児童向けの入所施設の閉鎖も決定していました。しかし、閉鎖へ向けたプロセスは始まったばかりで、私自身もまだ何百棟もあった施設の運営に携わっておりました。
ここで重要なのはバーナードスがNGOであったことです。NGOは自らの意思決定をすることが許されており、何をどのようにするか決めることができたので、政府や自治体からの制約を受けるということはありませんでした。
一方、続いてお話しするルーモスという組織は、政府と一緒になって、政府がすすめる脱施設化のプログラムを後押しする立場にあります。

バーナードホームのホームページ
http://www.barnardos.org.uk/what_we_do/our_history/history_faqs.htm

◇ JK・ローリングが創設したルーモス

ルーモスは設立約10年の組織で、その創設者は児童文学者のJK・ローリングです。ハリー・ポッターの作者としてご存知の方は多いと思います。10年ほど前、JKローリングは施設に入所している子ども達が、ひどい状況で暮らしている現実を東ヨーロッパで目にしました。それは、子ども達が檻のようなベッドに入れられ、ろくに食べさせてもらえず、トイレにもきちんと連れていってもらえず、放置、虐待されていた姿でした。
そこで彼女は決めたのです。「何か行動を起こさなくては」と。そして、私と1、2名の人と共に動き始め、そこからルーモスが設立されました。ちなみに、ハリー・ポッターファンではない方のために申しますと、ルーモスというのはローリングがハリー・ポッターにおいて作り出した呪文、暗くて怖い所に光をもたらす呪文です。
ルーモスは現在、政府、NGO、財団などと共に仕事をし、不必要な施設養護に終止符を打つための仕事をしています。「施設での悲惨な状況を改善したい」という願いで設立されたので、できるだけ施設は利用せず、家庭での養育を推進することに軸足を置いて運営されています。
では、施設ケアの利用をどのようにして削減できたのか、特に乳幼児向けの施設の利用がどう削減されていったのか、お話をしていきます。そして、家庭復帰における課題は何であったか、里親家庭や養子受け入れ家庭を探すことにどのような課題あったかという話の中で、バーナードスとルーモスの経験を交え、脱施設化にはどのようなプログラムが必要なのか、最後にわれわれが学んだ教訓についてお伝えしたいと思います。

ルーモスのホームページ
https://wearelumos.org/

◇ ジョン・ボウルビィの研究

第二次世界大戦後、日本同様、英国も大々的な復興プログラムに取り組まねばなりませんでした。子どもに関する分野では、WHO(世界保健機関)に依頼されて出されたジョン・ボウルビィの報告書が大きな影響を与えました。
そこには、子どもが母親の愛情を受けることができなかった場合に、その子どもの精神衛生、人格形成に大きな影響があるということが述べられていました。彼は、特に子どもが母親のケアを失った年齢とその期間が長期化することで、より影響が大きいことに着目していました。
ボウルビィは他の著名な人たちの研究にも言及しました。そして施設で養護されている幼児は、一般家庭の子どもに比べて、例えば「人の顔を見て笑うことができない」「刺激にうまく反応することができない」「栄養は整っているのに食欲がない」「体重が増えない」「不眠」「積極性に欠ける」というような状態がみられることを示したのです。
この研究から生まれたのが、サイコロジー(心理学)、ソーシャルワークといったものでした。これらの専門職を養成するコースは、ボウルビィの研究の重要性を鑑みて展開され、児童福祉のリーダー的な人たちの指針となりました。子どもの良き発達は、施設ケアの利用とは比例しないこと、それが特に幼い子ども達で顕著であるとわかったのです。
しかしながら、バーナードはこの新しい考え方をすぐには受け入れませんでした。それまで乳児院に多大な投資をしてきましたし、その中で働くスタッフのトレーニングにも力を注いできました。毎年、何百人もの若い女性が、保育師の資格を持ち、子どものための施設で仕事をしてきました。また質の高いスタッフを輩出すると評判も高く、乳児院としては最高のものとして受けとめられていたからです。

◇ 当時の乳児院の子どもの様子

ここでビデオをご覧いただきます。当時のバーナードホーム、乳児院の状況です。おかしなことに “ベビーズキャッスル”とも呼ばれておりましたが、それはなぜか、見ていただければおわかりになると思います。サイレントフィルムでナレーションはありませんが、バーナードスが資金調達のために作ったものです。1951年の状況において、ケアの質がどれだけ高かったのかということがおわかりいただけると思います。(動画上映)

バーナードホーム動画

いかがでしたでしょうか? ご覧いただいたように、充分な食べ物も与えられ、きれいな服を着せられ、とても優しく扱われています。ただ、子ども達の顔を見ると、あまり笑顔がなかったということにお気づきかもしれません。これは研究者も認識したことで、うれしい、楽しいという表現ができていないのです。
しかし、バーナードは新しく入ってきたスタッフからの、「施設入所という方針を検討し直さなくてはならない」というプレッシャーを感じ始めていました。
なぜなら、乳児院の子ども達の様子は、大人になかなかなつかなかったり、自己主張が強かったり、あるいはより未熟な行動に出たり、言葉の発達が遅れたりしていることがわかってきたからです。また、施設にいる子ども達を担当する人数は、子ども1人に大人が平均24.4人もいました。新しく訓練を受けた学生たちがどんどん実務に入ってくるため、数が増えるのです。これが家庭ならば平均2.2人で行われているのと比較すると、非常に多かったわけです。食事はしっかり与えられますが、毎日違うナースが子どもに食べ物を与えている。子どもにとっての“大好きな人”を作らないための処置でした。これではボウルビィの研究と相反します。
ボウルビィが前提としたのは、「幼児の健全なメンタルヘルスは、温かく親密かつ継続的な関係を母親あるいは母親代わりの人との間で構築する必要があり、それは一人に限る」ということでした。

◇ 世界の国々における研究および調査

ボウルビィの発表以降、施設入所が乳幼児にいかに影響するかという研究が様々な国でなされました。
2003年のギリシャの調査では、養育者に対する無秩序型(一貫性のない行動パターンを示す)の愛着が見られるのは、施設ケアを受けている場合は66%、一方で自分の家族に育てられて保育園に通っている場合には25%でした。
2007年のルーマニアの研究では、4歳半までの子ども達の認知能力が、長く入所していた子どもの方が、一度も入所したことがない、あるいは施設ケアから里親ケアに移行した子どもに比べて、かなり悪かったということです。
2010年の韓国での研究は、2歳まで施設入所している場合は、行動発達がよくないことが明らかになりました。
2012年ポルトガルの研究では、11ヶ月から3歳の子どもで施設に入所している子どもに高い割合の愛着障害が見られることがわかりました。

◇ 非摘出子に対する態度の変化など

バーナードは、他の要因もあって乳児院の閉鎖を進めることになりました。要因の一つは、ケアを必要とする件数が減っていたという理由です。
1960年代の10年間は、英国社会において何世代にも渡って当然と考えられてきたものが、大きく変わった時期でした。
例えば非嫡出子に対する社会の態度。数年前であれば女性が非嫡出子を出産した時、その子どもは政府や慈善組織に委託して、すぐに養子縁組を組む、もしくは乳児院へ預けるべきという考え方が主流でした。
しかし、1960年代に入ると、一人親に対して社会が寛容になりました。大々的ではありませんが、「それでもかまわないのではないか」という態度が出てきました。また、国の生活扶助も向上し、シングルマザーが非嫡出子を出産した時に、経済的理由のみで子どもを手放すことも減ってきました。さらに、避妊方法が広がり、ピルなども使用されるようになり、予期しない妊娠の数も減りました。
もちろん、どのような社会政策であっても、その政策が実施される文化と伝統の中で意味をなさなければなりません。ですから、英国と日本の間には考え方の違いがあるでしょう。英国でよかったから、日本でも同じがよいとは申しませんが、英国の場合には非嫡出子に対する偏見が減ったことで、以前であれば施設入所していたと思われる乳幼児の数が減ったことは事実です。
もう一つ、施設ケアから脱施設化に移る要因として、コストの上昇がありました。以前は乳児院で仕事をしていた保育師やスタッフは、その仕事に必要なだけの時間、働かなくてはなりませんでした。しかし一週間の労働時間が定められ、給与や労働条件が改善される流れは、人件費の上昇につながりました。ここで機を見るに敏な政治家たちは、社会全体で乳児を施設で養育することへの批判が強まっていることから、「経済面でも子ども達のことも考えて乳児院ではない養育が望ましい」という結論につなげました。

◇ 子どもと実家庭の再統合

ここからバーナードスにおいて、どのような経過で乳児院を閉鎖していったのかお話しいたします。それは、「施設に入所させない」「子ども達を家族の元に戻す」「里親ケアか養子縁組をする」ということです。障害児の場合は残念ながら、当時は他の施設ケアに移るという措置を行いました。これは私たちが1960年代~70年代にかけて行ったことであり、現在とは異なりますので、留意してお聞きください。
まず施設入所をさせない、そして子ども達を母親、家族の元に戻すということは慎重なアセスメント(評価)が必要でした。児童虐待が一つの理由として施設措置になっていた場合は特にそうです。非嫡出子だからという理由だけで入所していた場合は、母親を探し、そして慎重に判断をいたしました。
家族の元に戻れそうな場合に判断したのは、経済状況、母親の状況、祖父母にあたる家庭がもう一人幼い子どもを養育する力があるかどうか、そしてどのようなサポートがあれば可能かを考えました。
バーナードスは母親へのサポート、そして社会福祉的なサポートを提供することができました。また、元の家族に戻すことが適切でない、両親・親族を含めて適切でないと判断される場合には、養子縁組そして里親ケアを考えました。

◇ 養子縁組や里親ケアを探る

養子縁組を検討したのは、その子が生まれた家族では充分な養育が受けられない、または家族がそれを拒否しているような場合です。幼い子どもの養子縁組は、病気や障害がない、民族的マイノリティーではない、などの複雑な問題がないとき、バーナードス自体が養子あっせん登録機関でしたので、養子縁組を進めることができました。
里親ケアは、子ども達がすぐには家に戻ることができない、けれども後になれば戻れるかもしれない、あるいは法律的な理由で養子縁組ができない、つまり実の両親が養子縁組を拒否しているような場合。さらに養子縁組が難しそうだ、つまり子どもが障害を持っている、民族的マイノリティーであるというような場合です。こうした取り組みの中で、里親ケアから養子に移行した例もありました。
里親にサポートをして、生活を安定させることは重要だとわかりました。というのも、子ども達は一度も家庭での生活を経験したことがなく、乳児院の世界しか知らなかったのです。毎日同じパターンの生活、ご飯の時間、散歩の時間、寝る時間、朝起こされて、着替えをさせられて、そして集団で部屋の間を移動する。そうすると、里親の家庭において、大人や他の子どもと関係を作るのがなかなか難しかったのです。問題行動を起こす子どもいましたし、また里親の忍耐の限度まで試し行為をする子どももいました。

◇ 障害児、民族的マイノリティーの課題

大半の里親ケアは成功しましたが、残念なことに上手くいかなかった例もいくつかありました。里親ケアには難しい面もあることから、やはり乳児院閉鎖はよくないのでは、という意見の人たちからの反対も起きました。しかし、私たちは忍耐と決意でやり通していきました。
しかしながら、一部の子ども達は取り残されました。それは障害児、あるいは民族的マイノリティーの子ども達です。また、当時は障害児には施設ケアが良いという根強い考えがありましたので、乳児院を出ても障害児のための施設に移行する子どもは多くいました。
マイノリティーの子ども達は、里親が見つかった場合もありましたが、施設に移った子どもも多くいました。現在でも施設ではマイノリティーの子どもの割合が高いままです。
フォローアップの研究があります。これは「乳児院から移行して2年後、子ども達はどうしているか?」という調査です。42%は自分の家族と暮らしている、28%は養子縁組、15%は里親家庭です。里親家庭の割合は当初は29%でしたが、これは里親が後になって養子縁組をしたということです。10%の子ども達は、バーナードの他の養護ホーム、特に障害児の為の施設にいきました。それ以外が5%となっています。

◇ 施設閉鎖の問題と対処法

ここから施設閉鎖にどのような問題が起こり、どのように対処してきたかをお伝えします。乳児院を閉鎖するという決定にあたり、バーナードの理事会は大胆な決定を行いました。代表理事の助言に従って、20カ所の乳児院を施設として閉鎖するだけでなく、保育士養成学校も閉鎖することにしました。子どものためにはそれが一番いい方法だと思ったからです。名称も「バーナードスホーム」から「バーナードス」に改めました。
しかし、もちろん抵抗もありました。バーナードスは1866年に創設されましたが、その100周年を盛大に祝ったばかりという時期だったのです。また、寄付を一般から募り、施設の建て替え改修をしていました。その建物をわずか3年後に閉鎖しようというのですから。さらに、保育師養成学校は240名の学生を受け入れています。その校舎も最新の施設を整えたにもかかわらず、これも閉鎖することになったのです。バーナードは、一般社会にどのような説明ができるのか難しい局面にありました。
一般の市民はバーナードの乳児院の活動を高く評価し、寄付もしてくれていました。したがって、施設の閉鎖をやりとげるために、バーナードの経営層は大変な努力をして、管理職を励ましたり、説得したりすることが必要でした。そして各施設の長であるマネージャーに対するサポートが必要でした。閉鎖という悪いニュースをスタッフに伝えることで、自分たちの将来がわからなくなる中、「子ども達のためにベストを尽くして欲しい」と告げなくてはならなかったからです。

◇ スタッフの懸念

スタッフが最も懸念したのは、子ども達が虐待の可能性のある親と一緒に暮らすことの危険性でした。もちろん、そのリスクは確実にありました。虐待の可能性を持つ親から子ども達を離したほうが、共に過ごさせるよりはるかに安心でした。しかし、家庭を慎重にアセスメントすることによって、虐待をする親である彼らがどのようなストレスを感じていて、そのストレスをどう軽減できるか考えることにより、子ども達への危険を軽減することは不可能ではありませんでした。
親を教育する機会を持つこと、子ども達のデイケアを提供すること、あるいは財政的、社会的なサポートをすることにより、子ども達は実家庭に復帰することができたわけです。両親の教育や、子どものための保育園、経済的・社会的な支援は多くの子ども達が実家庭に復帰することを可能にしました。そうでなかった場合には、様々な種類の里親制度を開発すること、あるいは緊急時には親族と共に生活させるなどして、施設入所の必要性はだんだん少なくなっていきました。

 ◇ スタッフの抵抗

スタッフの抵抗は大きかったです。乳児院を閉鎖するということへの抵抗は当然であり、理解できるものでした。年長のシニアスタッフたちは、長年施設で仕事をしてきたわけです。独身女性が多く、子ども達のケアする仕事に情緒的にとても満足していました。宿舎も施設の中にありましたので、閉鎖されるということは、仕事を失うことだけでなく、住むところも、母性を発揮する手段も失うと言うことでありました。若いスタッフにとっても、もちろん新しい職場をどこに見つければいいのか、施設と言う働く場が少なくなっていく傾向でしたから、不安はなかったとは言えません。施設ケアが減っていくなかで労働組合の抵抗が大きな要因となってきました。
それまで異なる環境で働いていたスタッフに対応するために、様々な職業の開発が必要になりました。年少の子ども達への保育プログラムを拡大し、多くのスタッフがそこで働けるようにしました。あるいはソーシャルワーカーになりたいという人たちもいました。バーナードは、組織に対するコミットメントを持ち続け、充分な資格を持ったスタッフたちには、大学等で勉強するチャンスを与え、ソーシャルワーカーとしての専門職の訓練を受けることを許可しました。この場合、コース終了のあかつきにはバーナードスに戻ってきて、少なくとも2年は働くことが条件でした。
その他に、この機会に子どものケアからはむしろ離れ、キャリアを変えたいという人たちもおり、彼らには就職ガイダンスやアドバイスが提供されました。単に辞めるということを選択したスタッフもいました。
より年長のシニアスタッフは選択肢が限られていました。もちろん早期退職制度を提供できる人たちもいました。新しい保育センターにはマネージャーが必要でしたので、その担当をするチャンスも提供されました。とはいえ、すべての人がそれに適していたわけではありませんでした。当時の施設長の中には、入所している子どもの親との関係をうまく築いていない人もいました。しかし新しいファミリーセンターのスタッフは、親と協力して仕事をしてもらう必要がありました。その意味では、すべての人たちがその新しい仕事に適するとは言えなかったのです。
バーナードスは大きな組織でしたので、シニアスタッフは他の仕事のチャンスを、例えば障害児を対象にするプログラムで得ることができました。しかし正直に申し上げますと、全く新しい仕事のやり方に適応できなかった人も少数ながらおりまして、怒り、失望しながら去っていった人たちもいました。

◇ シニア小児科医からの抵抗

こうした変革は誰にとっても簡単ではありませんでした。それでも、常に忘れなかったのは「子どものために何が最善なのか、最善を実現しよう」ということでした。とはいえ、スタッフがこの変革にうまく対応できる気配りが必要でした。多くの心理学者たち、ソーシャルワーカーたちは乳児院の閉鎖を喜びました。しかしシニアの小児科医の人たちからは抵抗がありました。特に年少の障害児のケアに関して。重度の障害を持った乳児の親に対しては、施設入所が勧められていました。そうすると家族は、子どもがまるで最初から居なかったような生活を続けることになります。医療ニーズを必要とする子ども達、そして身体的ケアを必要とする子たちは、入所ケアしかあり得ないと考えられており、医師の中には施設を維持したいという考えもあり、やはり家族では対応ができないだろうという判断だったのです。
振り返りますと、この抵抗に対して我々はうまく対応できなかったと思います。正面から問題に立ち向かうことなく、時には妥協することもありました。一緒に努力をして、地域社会でケアができることを実証しようとしなかったのです。この問題は、最終的に特定の戦略を通して状況が改善されたわけではありませんが、抵抗の中心であったシニアの医師たちが徐々に仕事を退き、健全な児童発達には何が必要なのかということに理解をもつ若い医師たちの出現によって、解消されていきました。しかし、その間に犠牲者となったのは障害児たちです。長い月日の施設入所を強いられてしまいました。

◇ 建物に対する感情的な愛着

困難の中には、建物に対する感情的な愛着というものもありました。例えばとても美しい庭を備えた立派な建物、乳児院として使って欲しいと寄贈された建物もあり、寄贈者の名前を付けたものもありました。建物の閉鎖をするということは、資金提供者との繋がりを失ってしまうということも意味しました。街中の建物をデイセンターに転換するということは容易でしたが、建物は常に便利な場所にあったわけではありません。例えば辺ぴなところあった乳児院は、新しいデイセンターに容易に転換することができませんでした。
バーナードスが幸運だったのは、非常に多くの資金を持つ人が理事であったということです。彼らは必要なくなった建物は売却して新しい目的のために資金を使いなさいと言ってくれました。そこで、私たちもそのような方針を採択できたのです。もちろん寄贈者の名前は、次の建物にも付けさせていただくことで同意を得ることができました。

◇ 資金調達の困難

私たちが直面した困難の最後は、資金調達の問題でした。これについてはバーナードスの経験ではなく、いま私たちがルーモスで直面している問題について触れたいと思います。
バーナードスでは1つの機能から別の機能への資金の移動というのは比較的容易でした。単一の組織でしたし、経営者そして理事としては、例えば乳児院にもう資金をつけない、そしてデイセンターやファミリーサポートセンターに資金を移すという意思決定を容易にすることができました。
しかしルーモスでは、政府や公的機関あるいは自治体と仕事をする場合、なかなかそうはいかないとことがわかってきました。例えば、厚生省の管轄にある乳児院の運営資金を、社会福祉省が管轄である家庭へのサポートサービスに使うということができなかったのです。政府の省庁間では、資金の移動がなかなか容易ではないということです。子どものために、別の目的で使いたいと思っても、それが障壁となって、施設ベースのケアから地域社会ベースのケアへの移行が妨げられてきたのです。

◇ 脱施設化プログラムの成功のために

ベストな脱施設化を実現するポイントについて触れて行きたいと思います。ルーモスで経験したのは、政府と協力して脱施設化を成功させるには何が重要なのかということです。
まずよいプランニングが重要です。理想的には、このプランニングにあたってすべての関係者がかかわることです。また政府がすべての段階で常にコミットメントをしていくことが重要です。施設を閉鎖する日を設定してしまうのではなく、子どもにとって最善の利益を常に中心において、現実的なタイムテーブルで日程を組むことも重要です。
全てのプログラムにおいて、子どの最善の利益を中心とするためには、計画を立てる人たちが、何が最善の利益であるかを知っていることが前提となります。脱施設化を成功させるための主要な鍵となるのは、子ども一人ひとりのニーズと、家族や地域社会にどのようなリソースがあり、どのような可能性があるかという慎重なアセスメントです。単に子どもを家庭に返す、養子縁組をする、里親に任せるだけで適切な監督もサポートもなければ、破局という結果を迎えてしまいます。
子ども、そして若い人たちの意見を取り入れるということは成功するために重要だと思います。これまで施設での生活しか知らない子ども達は、これから未知の生活が始まるわけですから、恐れを抱いています。子ども達を注意深く見守り、新生活への準備をする、そしてそれは、子どもが信頼する大人がかかわって準備することが大事です。
ルーモスではいくつかのテキストを作りました。より年齢の高い子どものために、新生活への準備、手立てとなるような内容です。ルーモスのWebサイトでも公開されております。一度ご覧ください。

ルーモスのホームページ
https://wearelumos.org/

英国視察報告書はこちら
ルーモスプログラム参加など英国視察報告

■どのようなサービスが必要とされているか?

  • ユニバーサルな医療、教育、社会福祉サービス
  • 弱い立場の子どもと家庭を対象としたサービス
  • 要となるところにサービスを配置する(例:産院)
  • 予防/家族再統合
  • 緊急保護
  • 家庭でのケア 里親制度と養子縁組制度
  • 極めて少数のマイノリティー児童を対象とした小規模で特別な養護施設
  • 社会的養護を終了するときの支援
  • 社会的養護の後の支援サービスここにリストアップしているのは、子ども達が入所しても、退所しても、必要になるサービスです。「こんなにあるのか」と思わないでください。理想的にはこれだけ欲しいということです。そしてみなさんの場合には、「これはできない」「現在はない」というサービスがあると思いますが、だからと言って心配しないでください。

◇ 資源の再投資について

先ほど、資金の移動がサービスを切り替える時に難しいと申し上げました。施設は3種類の資源を持っています。まず資金(お金)、人材、そして物質的なものです。戦略的な計画立案にあたって、これまで施設に投下していた資金を維持したまま、コミュニティにおけるサービス、中でも子ども達が本当に必要とするサービスに資金を投入しなくてはなりません。コストについては、特別な支援が必要な子どもを含めて、コミュニティや家族でケアするほうが施設よりもコストが低いということがわかっています。
もちろん個々のサービスによって高くなったり、より安価になったりしますが、全体として家族・地域ケアの方がコストは下がるということです。
また社会政策を大きく変えるわけですから、独立したモニタリングと評価が必要になります。そのプログラムが成功したかどうかという尺度は、この退所した子どもの数、あるいは閉鎖した施設の数ではありません。子どもにとってその変化がプラスになったかどうかで判断されるべきだと思います。そして財政的にそのプログラムが持続可能であるかどうかとうことも重要でしょう。

◇ 経験から得られた教訓

最後に私たちの学んだ教訓です。私の立場から日本の皆さんにこれをしなさい、あれをしなさいというつもりは一切ございません。ただここで私たちがバーナードスで学んだこと、そして現在ルーモスを通して世界各国で学んでいることを教訓として皆さんにお伝えしたいと思います。
というのも、これから改正された児童福祉法を施行するにあたって、ぜひとも私たちの過ちを知っていただきたいのです。「私たちが過去に遡れるのなら、もっと違うやり方をするのに」というポイントをお伝えいたします。

■施設入所は早く中止すべき

まず、もっと早く乳児院への入所を中止すべきであったと考えています。例えば、バスタブを空にしたいのであれば、まず蛇口を閉めなければいけません。しかし振り返ると、二つの要因があって、早く入所を中止できませんでした。
一つは、家族サポートのサービスが当時はなかったことです。特に虐待が疑われるケースについてはそうでした。乳児院を閉鎖したいということと、そしてバーナードスにしろ、政府にしろ、必要な地域でのサービスをどれだけ提供できるかというバランスを取るのが難しかった。
もう一つ、私たちはシニアの小児科医の意見を聞きすぎたのかもしれません。彼らは「障害児は施設ケアをすべきだ」という強い意見がありました。なぜ私たちが意見を通せなかったというと、地域社会に必要な設備がなかったからです。住居を改修して車椅子でも暮らせるようなサービスもありませんでした。トイレ、浴室の改修なども当時は行われておりませんでした。また重度の障害のある子どもの親のレスパイトや里親ケアもありませんでした。こうした要因のため、なかなか乳児院閉鎖を進めることができずに時間がかかりました。

■断片的な導入を避ける

バーナードスでもルーモスでも、もっと一貫性のある戦略的計画をたてる必要があったと思っています。そのためにはどんな要素が必要かということを申し上げました。振り返ると、どうしても断片的なアプローチの方がやり易いのだと思います。関与するスタッフの考え方や、地域の政治家やマネージャーの熱心さに左右されたり、退所させやすい子どもから退所させたりするような傾向は、計画が進んでいるように見えるので、そうしやすいのです。

■小規模施設の問題

ルーモスの経験から、ヨーロッパのいくつかの国では脱施設化を進めるためにEUから資金が出ている場合があります。それはいいのですが、残念なことにその資金の使われ方があまりよくありません。
ある国の例です。大規模な古い施設の替わりに、新しく小規模な施設を作った国がありました。きれいな建物、壁には絵も飾ってあります。こういった新しい施設には30名、40名の子ども達が入所しています。しかし、いくら小規模にしてもいわゆる“施設的な特徴”が消えなかったのです。政策立案者は確かに「より小さなホームが必要だ」と言う声には応えました。しかし、小規模ホームが必要となるのはごくわずかの家族がケアをする力がないような子ども達、あるいは子どもに障害がある、問題行動があって家庭でのケアが難しい子に限られる、という声は見逃していたのです。
したがって小規模ホーム(施設)が受け皿になった分、養子縁組をしなかった、里親ケアをしなかったということになります。今後また小規模ホームからの脱施設化が必要となります。結局その期間、入所した子どもが受けられたはずの家庭におけるケアを受けられなかったことになります。

■専門職の抵抗・適切な財政モデル

先ほども専門職の方々の抵抗について述べましたが、これにもっと早く対処すべきだったと思います。シニアの小児科医の先生方というのは非常に知的レベルの高い方々です。したがって、研究で判明した結果をきちんと提示すれば、検討していただけたのではないかと思います。脱施設化というイデオロギーで説得するのではなく、研究の結果を示し、それを使って説得する努力が必要だったと思います。
また公的サービスに関しては、部門ごとに予算が付きますので、子どもが必要とするケアの種類が変わった時に部門が違うと資金の移転が難しくなってしまいました。

■関係者全員についてのメリットを強調する

はっきりと教訓として出てきているのは、戦略的なアプローチを取り、サービスのあり方を施設ケアモデルから家庭ケアベースに変えなければいけません。そのために、関連する人たちがすべて参加する必要があるのです。保健部門、社会福祉、教育、そして住まいに係わる人たちが、必ずかかわる必要があります。
その戦略的なアプローチを取る際の主要な要素は、資金・資源の移動が、子ども達個人のニーズに合わせることができる財政モデルを作ることです。
どのようなプログラムであっても、脱施設化を進めるためには、前向きのはっきりとした熱意を示すリーダーシップと、問題や課題を前向きに解決していこうというアプローチが必要になります。そして子どもにとって最善なことは何か、ということを常に考えていくことが大切でしょう。ご清聴いただきましてありがとうございました。日本での成功を願っています。
(構成:林口ユキ)

【関連リンク】

政治山の記事はこちら
2017.4.25 政治山「すべての子どもに家庭を」バーナードス前CEOロジャー・シングルトン卿に聞く

GLOBEの記事はこちら
2016.12.30 朝日新聞GLOBE ロジャー・シングルトン卿×GLOBE副編集長・後藤絵里対談

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日本こども虐待防止学会で日本財団スポンサードセッションを行いました!

【ロジャー・シングルトン氏 発表資料】

日本語版「子どもが家庭で育つ社会にむけて」

【和訳】Rs translated presentation japscan final with video修正済み from happy-yurikago

英語版 “Toward a society where children are raised at home”

Rs presentation japscan rev from happy-yurikago

私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。

すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。

プロジェクト概要