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インタビュー

よ~しの日2017トークインタビュー 不思議なほど、とてつもない愛情をもらった 川嶋あい

<よ~しの日2017トークインタビュー >
不思議なほど、とてつもない愛情をもらった

4月4日の「養子の日」を前にした4月2日、日本財団にて特別養子縁組に関するトーク&川嶋あいさんライブが開催されました。ご自身も養子として育てられた川嶋あいさんからは、「私は母の大きな愛情を受けて育った。血のつながりのあるなしは関係ない」「養子の日のような子どものためのイベントは大切」など力強い言葉をいただきました。司会はJ-WAVEナビゲーターの丹羽順子さん、登壇者は川嶋さんのほかに、子どもを取り巻く社会的課題の解決を「まちづくりとデザイン」という視点で捉えている九州大学講師の田北雅裕さん、特別養子縁組で3人のお子さんを迎えて子育て真っ最中の佐々木啓子さん、そして日本財団福祉特別チームのチームリーダー高橋恵里子からは、最新の養子縁組家庭のアンケート調査結果も報告されました。トークセッションのテキストレポートをお届けします。

事実を知った日「でもね、愛はお母さんの本当の娘やけんね」

――司会の丹羽順子です。私は欧米でも長く暮らしましたが、周囲にも養子のお子さんがたくさんいらして、それが当たり前でした。娘の大親友も養子として育てられた素敵な女の子です。ところが、帰国すると日本ではなかなかそういうご家庭に出会いません。もっと愛あふれる家庭に迎えられるお子さんが増えたらいいと日ごろから思っていました。今日は皆さまの一緒に学ばせていただくことを楽しみにしています。
まず川嶋あいさん、産まれてすぐに福岡の乳児院へ、その後は児童養護施設でお育ちになったそうですね。

川嶋さん 2歳まで乳児院で育ち、2歳半くらいから児童養護施設に移ったと聞いています。その施設には、父と母が週に1~2回、会いに来てくれていました。私は「この人たちが私のお父さんとお母さんなのだろう」「いつになったらお家に帰れるのかな」と思いながら施設で過ごしていました。3歳すぎてから、川嶋家に引き取られたときは、「やっとお家で生活できるんだな」という感覚でした。それから12~13歳くらいまで、私の両親はこの人たちだと何の疑いもなく信じ、家族三人で暮らしていました。その後、10歳の時に父が亡くなり、母は女手一つで私を育ててくれました。
12~13歳のころに、母に頼まれて開けた金庫の中に、私の出生について書かれた書類を見つけました。私の名前の欄があり、母親という欄に、別の人の名前がありました。全身に衝撃が走りました。その震える思いのまま母に「これは、どういうこと?」と訊くと、母はとても悲しい表情、「見てしまったか」という表情をして、「これはね…」と、私には生みの親がいるという話をし始めたのです。しかし、母と亡くなった父が両親だと信じてきた私には、その話はとても受け入れられませんでした。それでも母は最後に「でもね、愛はお母さんの本当の娘やけんね」と、きっぱり言ってくれました。そのときは「でも……」という複雑な気持ちでしたが、最後の言葉は私の強く心に残り、後になって、私の宝物になりました。
衝撃ではありましたが、徐々にこの事実を受け入れ、「血のつながりはないかもしれんけど、お母さんは私の中でたった一人。やっぱり、この人が私の母親だ」という気持ちになっていくことができました。

愛する思いがあれば、血のつながりはどこかに行ってしまう

――お母様の愛情が本当に伝わったのですね。

川嶋さん 母は愛情のかけ方がすごい人でした。引き取られてからすぐに私を音楽教室に通わせてくれました。泣き虫で人見知りの激しい子だった私を「歌で心を開かせよう」と思って。私が歌っている姿を、誰よりも喜んでくれたのが母でした。「愛は歌手になるけんね」と、日々言われて育つうち、「そうか、私は歌手になるんだ」という気持ちが自然に生まれてきました。発表会に出たり、東京に行ったり、いつしか私が歌手になることが、母娘二人のたった一つの夢になっていきました。私の一番近くで愛情を込めて育ててくれている母が、私の「歌」に情熱のすべてを注いでくれたからこそ、いつしか私自身の夢になり、ここまでくることができたのだと思います。父が亡くなり、お金に苦労し始めても、借金してまでも、音楽教室に通わせてくれたり、高校も東京に行かせてくれたり。いろいろなものを犠牲にしてまで、なぜそんなにしてくれたのか、訊いてみたかった。それくらい、不思議なほど、とてつもない愛情で育ててもらいました。

シンガーソングライター 川嶋あいさん

――育ての親でも、愛情の差はないのですね。

川嶋さん 人を思う気持ち、愛する思いさえあれば、血のつながりとか、どこかに行ってしまいます。そんなことを問題にしなくなると思いますね。

――お父さまに続き、最愛のお母さまもお亡くなりになられました。

川嶋さん 15歳で上京し、母は福岡で私の歌手になる姿を待っていました。16歳の時に、路上ライブを始めて、少しずつ夢に近づいて、これからもしかしたらデビューできるかもしれないという矢先に、母は亡くなりました。私はその半年後にデビュー。結局、歌っている姿を見せられないまま、亡くなってしまったのです。それは本当に、いまでも心残りです。「人を愛するということ」と「夢に向かってひたすらがんばっていく」ということを教えてくれたのはまぎれもなく母で、この人が居なかったら、私はどうしていたのだろうか、ずっと施設にいてどんな風に過ごしていたのだろう、といろいろな思いが湧き上がることがあります。

――佐々木さんは3人のお子さんを迎えて、これから社会に飛び出していくお子さんたちを育てています。あいさんのお話を聞かれていかがですか?

佐々木さん 13歳で事実をお知りになったのは、ショックだったと思います。でも「お母さんの本当の子どもだよ」という言葉をあいさんが信じることができたのは、本当に良かったですよね。それは、お母さんが言葉だけでなく、たくさんのものを親として注ぎ込んでいたから、言葉ではないところで、伝わっていたのではないでしょうか。

家族をつくる特別養子縁組が日本では広まらない

――高橋さん、生みの親が何らかの事情で子どもを育てることができないというケースは日本にどれくらいあるのでしょうか。

高橋 生みの親と暮らせない子どもを政府が責任をもって育てることを、社会的養護と言いますが、その子どもは現在4万6000人位です。85%の3万人が、乳児院や児童養護施設などの施設で暮らしています。里親さんの家庭で暮らしている子どもが約6000人、養子縁組する子どもは年間550人くらいです。

日本財団福祉特別チーム チームリーダー 高橋恵里子

――そうすると、特別養子縁組の制度で、マッチングをして、あいさんのように温かい家庭で育つお子さんは非常に少ないという実態があるのですね。

高橋 ヨーロッパやアメリカに比べると日本はまだ少ないです。いろいろな要因がありますが、日本では養子縁組という制度が子どもの福祉として捉えられて来なかったという面があります。あいさんは、お父様、お母様から愛情豊かに育てられたとおっしゃっていますが、「特別養子縁組は子どもに家庭を提供する児童福祉としての制度である」ということを社会全体に広げて、みんなで考えていけたらいいのではないかと思います。

――養子に限らず、子どもたちを取り巻く社会的問題は多く、私たち大人が地域や社会や国、全体でバックアップしなくてはならないと思います。田北さん、日本にはどのような課題がありますか?

田北さん 最近、児童相談所の方と一緒にお仕事をさせていただく機会があるのですが、6人に1人が貧困世帯という状況、児童相談所に寄せられる虐待の相談対応件数も10万件以上という現状があります。子どもを取り巻く環境が、困難を抱える状況に変わってきているということが明かになってきました。これらは、家族の問題、親の愛情不足の問題と考えられがちですが、社会全体の変化が大きいと思います。私が生まれた1975年頃の4人家族で母親は専業主婦という形から、今は共働きが多く、地域社会に子育てをサポートしてくれる人が少ない状況があります。こうした状況が子どもの困難をより一層、顕在化させている気がします。

 福祉こそ分かりやすいデザインによる情報発信が必要

――各家庭だけの問題ではなく、社会的な構造の問題であると。養子縁組が日本で広がらないことを田北さんはどのようにお考えですか。

田北さん いろいろな問題があると思いますが、血がつながっている人が家族なのだという家族観が日本では大きいのだと思います。社会保障も家族になれば、税金が優遇されます。公的に家族になることが推し進められていますし。そこから少し外れて、もっと多様な家族で暮らそうとすると、なかなか暮らしにくいという現状が日本にはあります。

九州大学講師 田北雅裕さん

――田北さんは福岡で子どもの福祉に関する取り組みをなさっているそうですが。

田北さん 私はデザインが専門で、福祉とは直接つながっていませんでしたが、今は里親を増やすための活動に協力しています。これまで福祉の分野にデザインをよくするという考えは行き渡っていませんでした。商業施設等は見やすいホームページがあります。しかし、児童相談所などのホームページはうまくデザインされていないことが多いのです。すると、相談したい人がなんとか児童相談所のホームページにたどり着いても、その人が理解できるように表現されていないと、情報から離れてしまいます。子どもの福祉の領域にこそ、相手に伝わりやすい丁寧なデザインが必要です。
福岡市の児童相談所のホームページは、クラウドファンディングというインターネット上で寄付を集めるシステムを利用し、その資金でこちらがデザインし、利用しやすく作ったものを市役所に寄付をする、というプロセスで作られました。児童相談所には里親の情報を広める役割も担っていますから、デザイン性を高めることが、その役割を果たすことになるのです。福岡では10年ほど前から、児童相談所、NPO、大学、弁護士会などがネットワーク組織を作り、そこで意見交換をしながら里親啓発に取り組んでいます。その成果もあって、里親の委託率の伸び率は全国1位になりました。

田北さんが制作に関わった「福岡市こども総合相談センター えがお館」

――福岡市のホームページはとても分かりやすく作られていますね。相談者の立場に立ったケアの一つだと感じます。制度を利用された佐々木さんは、いかがでしたか?

佐々木さん 私が養子縁組を調べ出した10年ほど前は情報が少なく、インターネットにポツポツと上がっている情報を必死で探しました。あとは書籍を買って読んだり。今は養子縁組や里親の情報はインターネット上にたくさんあると思いますが、それでも、「見つけられなかった」というお声は聞きます。誰でも手に取れるところまでまだ届いていないのかもしれません。また、予期しない妊娠に悩む方が、相談機関などの情報にたどり着くのも難しい面があります。操作ができない、難しい字を読めないという方もいらっしゃいますので、そういう方にもわかりやすく情報を届けることはとても大切だと思います。

――養子縁組の仲介は、児童相談所だけでなく民間団体も行っています。佐々木さんの場合は、民間団体のサポートを利用なさったのですよね?

佐々木さん はい、最初は児童相談所で里親のことを聞いたり、研修を受けたりしましたが、養育里親という制度は、育てた子どもが実親に戻ることもあります。私は家族になってずっと一緒に暮らすことを望んでいましたので、特別養子縁組をしてくれる民間団体を選びました。ただ、児童相談所でも養子縁組里親という形もあります。

――調べれば、しかるべき制度もあるし、情報にもたどり着けるのですね。

佐々木さん そうです。ただ、一人でたどり着くのは大変だと思いますので、「日本財団ハッピーゆりかごプロジェクト」のような、まとまった情報があるホームページをご覧になるといいと思います。

家族は日々時間を共に過ごしながら作り上げていくもの

――佐々木さんがお子さんを養子としてお迎えになった経緯について教えていただけますか?

佐々木さん 私は20代前半で月経が止まってしまい、以来、子どもを産めないのではないかという不安を抱えていました。縁あって夫と結婚し、不妊治療を始めましたが、30代の前半には排卵がまったくないことが判り、出産は難しいとお医者さんから診断されました。本当につらくて、しばらくは暗いトンネルの中を歩いているような気持ちで過ごしました。でも、子どものことを夫と話し合う中で、血のつながりのあるなしは、私にとっては一番重要なことでは無い、血のつながりがなくても、我が子として子どもを迎えたいと思いました。

特別養子縁組で子育て中 佐々木啓子さん

――パートナーや周囲の方々のご理解を得るとき、難しいことはありましたか?

佐々木さん 家族は夫婦二人で協力していくことが大切だと思いますので、「こんなことを聞いたけどどう思う?」と、密に相談をしながら、慎重に進めていきました。もともと夫は「二人でも幸せだよ」と言ってくれていたのですが、私の方に強く子どもを迎えたいという気持ちがありましたから。夫や他の身内に対して、私に何かあっても、子どもがこの家で育てられるようにという思いで、周囲にしっかり理解をしてもらえるように話し合いました。

――民間団体のサポートを利用されて、6歳、4歳、1歳のお子さんとの暮らしはいかがですか?

佐々木さん 迎えてからは普通の子育てと一緒で、小さい頃は、毎日3時間おきにミルクをあげたり、大人のいうことは聞かないのに困ったり、毎日ひっちゃかめっちゃかになりながら、暮らしています。

――川嶋あいさんはご自身が養子であることをたまたま知ってしまったということでした。佐々木さんのどのようになさるおつもりですか?

佐々木さん 一番上の息子が1歳半位の時から、「あなたには産んだ人がいるんだよ」と語りかけて育てました。今も「産んだ人がいて、でも私たちはずっとあなたたちと家族だし、ずっと大好きだよ」と繰り返し伝えています。真ん中の子にも同じように伝えています。子どもたちは「周りの一緒に過ごしているお友達たちは、産んだお母さんが育てているけど、私たちには産んだ人がいて、でも私たちが家族なんだよね、ここがお家なんだよね」という理解はできています。今後は少しずつ、生みの女性の情報なども、うちはお写真をいただいているのですが、「見てみたい?」とか、聞きながら、会話をしながら、伝えています。

――やはり、お母さんになって、家族になって良かったですか?

佐々木さん そうですね、「子どもを迎えたから家族になれた」というよりは、家族は一緒に日々時間を共に過ごして、築いていくものなのかなと感じています。そうした意味で、いまこうして家族を一緒に作っている、ということは本当に幸せなことなのだなと思っています。

 育ての親がしっかり受け取ってくれた「命のバトン」

――私自身も理解が深まってきました。川嶋あいさん、「愛」というお名前は生みの親御さんがつけてくれたお名前だそうですね。

川嶋さん 育ての母が亡くなった後に、区役所に行ったり、児童養護施設を訪ねて先生にお話を伺ったりして判りました。生みの母のことは、親友だったという方までたどり着くことができました。その方にお会いして、私を身ごもっていた時に、親友に宛てて書いた手紙を見せていただきました。「名前は“愛”にしようと思う」と、書いてありました。たくさんの人に愛されるように愛という名前がいいと思うと、親友にも話していたということです。私は自分の名前が持つ意味を改めて考えるようになりました。
生みの母とは別れてしまいましたが、「命のバトン」を育てのお父さんとお母さんがしっかり受け取ってくれた。「私たちがこの子を育てますね」と受け取ってくれたのだと思います。今、その両親もこの世にはいません。でも、母と夢見た音楽の道を歩むべく、路上ライブで歌い始めたとき、支えてくれる仲間と出会うことができました。本当に、今も家族のような存在として私と共に歩んでくれています。生い立ちだけを語れば、厳しい人生を想像なさるかもしれませんが、私は何ひとつ不幸だったことはなく、大きな愛情に支えられて生きることができたのです。
これまで、養子縁組については、子どもとしての目線でしか語ることはできませんでしたが、今日は佐々木さんの養親としてのお話しを聞き、母がどんな気持ちでいたのか、思いを馳せました。佐々木さんは、子どもが産めないと判ったとき、養子を迎えようと思ったとき、ものすごい勇気を出して、いろいろなことを調べて、児童相談所や民間団体を訪ねて、お子さんを3人も迎えられました。一人ひとりの子とどう向き合って行こうかと、いろいろなことを考えていらっしゃる。私の母も、同じように我が子との出会いを求め、迎え入れた私とどう向き合うか、うまくやっていけるだろうかと、いろいろな不安もあったと思います。
でも、私たちは、気づいたら乗り越えられていた。家族って、最初からできているわけではなく、自分たちで作っていくものなのだと。血のつながりがあってもなくても、それは変わらないこと。一般のご家庭のお父さんお母さんもたぶん、この子をちゃんと育てられるかなと、不安もありながら育てていらっしゃる。それぞれの家族で、親も子もお互いに成長して一緒に生きていくと思うのです。そうやって、一つ一つの家族が作られていくのかなと、そう思いました。

「養子の日」のような子どものための催しを広めたい

――受け取った命のバトン。それを次世代の子どもたちにも受け継いでいきたいという思いで、福岡の児童養護施設でライブをなさっているのですよね?

川嶋さん はい。私が育った施設にも行きました。18歳くらいの時に初めてそこでライブをしたのですが、雰囲気とか匂いとか、先生のこともなんとなく覚えているんですよね。そこで育てられている子どもたちに、歌を届けましたが、子どもたちは表情がキラキラしていて。最初は物珍しそうに見ていたのですが、そのうち「私も歌手になりたいんだ」という女の子たちと話をしました。この子たちの夢や希望が、もっともっと膨らんでいって欲しい。私の力は微々たるものかもしれませんが、何か出来ることをやっていきたいと思いました。
私は今回のイベントのお話をいただいて、初めて「養子の日」を知りました。知らない人は多いと思います。「養子の日」、多くの方に知っていただきたいですね。田北さんのお話にもありましたが、子どもをめぐる環境が過酷なっている中、こういう日があって、子どもに関わるイベントがあるということを知り、みんなで学んでいくことは大事だなと思いました。

――力強いメッセージ、心強い応援ですね。川嶋さんは、国内に留まらず、海外でもご活動なさっていますね。

川嶋さん 途上国に学校を建てる活動をしており、現在、アフリカ、アジアの貧困国を中心に8校建っています。現地の子どもたちともお会いすると、子どもの輝きというのは世界のどこの子たちも変わりません。子どもたちがずっとキラキラしていけるように、自分に何が出来るのか、これからも考えてやっていきたいなと思っています。

――川嶋あいさんには後ほど歌を披露していただきます。若者たちを中心に、大人気のあいさん。心に響く歌詞が素晴らしいです。ありがとうございました。(川嶋あいさんご退場)

養子縁組家庭の96%が自分の親からの愛情を感じている

――高橋さん、あいさんのように養子として育てられたお子さん、それから佐々木さんのように養子を迎えられたご家庭にアンケート調査を実施されたそうですね。

高橋 日本財団では、養子さんが15歳以上の世帯を対象とした調査を行い、このほど分析が終わりました。養親さんの95%は、子どもを育てて良かったと思っていることが分かりました。また、迎えられたお子さんの方も9割が養親に育てられて良かったと思っており、96%は自分の親から愛されていると感じているということです。この「自分の親から愛されている」と答えたお子さんは、一般家庭のお子さんより割合が高い数値です。こうして見ますと、養子を迎えて育てている親御さんのほとんどが、とても愛情を注いで育てていらっしゃるということ、それを子どもさんも感じているということがわかると思います。ただ、思春期で難しい時期があったというお答えもありましたので、養子縁組のご家族には継続的サポートも必要だと思います。

報告書(PDFファイル)のダウンロードはこちらから
【子が15歳以上の養子縁組家庭の生活実態調査 報告書】

――満足度が高いことが判り、これからの課題も見えてきたということですね。

高橋 はい。先日、厚生労働省で、特別養子縁組をどのように推進していくかという検討会が終わり、方針が出されるところです。日本財団の調査も参考にしていただけたらと思っています。また、養子縁組というものがもっと当たり前に社会に広がっていけるように引き続き啓発活動や情報提供などをしていきたいと思います。

――田北さん、子どもを取り巻く環境改善に尽力されていますが、皆さまの話を受けて、社会全体にはどのような取り組みが必要だと思われますか?

田北さん 川嶋さんのたくさんの愛に支えられた、というお話しが印象的でした。里親や養親などの当事者ではなくても、それぞれが関わる愛の形というものがあると思います。ご自分のお仕事や地域で、どんなかかわり方ができるか、ぜひ考えてみてほしいと思います。当事者以外の人たちが「私たちもこういうことが出来るな」という自覚が生まれてくることで、結果的に養子縁組の認知度も高まり、養子として家庭に迎えられる子どもの数も増えていくと思います。

――佐々木さん、養子縁組を経験されている親御さんの代表ということで、お子さんを養子として迎えたいという方々に向けてメッセージをお願いできますか?

佐々木さん 特別養子縁組は、生みの女性の相談をきちんとしてくれて、どうしても育てられないという決断があって初めて、私たち養親のもとに託されます。養親だけではなく、生みのお母さんの話をきちんと聞いてくださる取り組みが必要だと思います。そして、養子として迎えられた子どもたちが、よりよく育っていける環境が大切だと思います。そのためには、当事者だけではなく、普通に子育てをなさっている方々が少しずつ関心を持ってくれて、「そういう家族の形もあるんだね」と、家族の多様性に触れていただければと思います。また、養親なるためには多くの条件があります。私たちがそうなるまでには、細い糸を手繰り寄せるような思いでしたので、いま養子縁組をお考えの方は、経験者や専門機関に遠慮なく相談して、アクションを起こしてくださったらいいと思っています。

――皆さま今日はありがとうございました。

<川嶋あいさんライブ>
トークセッションの後に開催されたライブでは2曲を歌っていただきました。ライブの語りの中では、会場のみなさんに次のようなメッセージを贈ってくれました。

川嶋あいさんのライブ

不幸だったことはなく、幸せに生きる道を育ての親からもらった。
「育ての母と過ごした年月は13年間でした。私のことがほんとうに大好きで、私の歌のこともすごく好きで、情熱のすべてを私の人生に注ぎながら育ててくれたのが私の母でした。そんな母に、私のことを育ててくれてありがとうと、言えないままだったことが、一番心残りです。でも、私は不幸だったことはなく、幸せに生きる道を母からもらったと思っています。母と過ごした時間はかけがえのない宝物です。もしかしたら、会場にいるみなさんの中で、子どもを持ちたいけど、どうしたらいいのかなって、思っている方がいらっしゃるかもしれません。私は母のそばにいられて、不幸だと思ったことが一度もありませんでした。いま心配や不安があっても、乗り越えられるそれぞれの家族のカタチがあると思っています。」川嶋あい

私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。

すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。

プロジェクト概要