インタビュー
上鹿渡和宏教授インタビュー 「まず乳児院が変わることから変化が始まる」
<シリーズ・児童福祉の新時代へ その2>
~過渡期を迎えた日本の社会的養護「新しい社会的養育ビジョン」の実現へ向けて~
「まず乳児院が変わることから変化が始まる」
この人に聞く!早稲田大学上鹿渡和宏教授インタビュー
平成28年の児童福祉法の改正、そして平成29年8月に発表された『新しい社会的養育ビジョン』では、「実親による養育が困難であれば、特別養子縁組による永続的解決(パーマネンシー保障)や里親による養育を推進」という家庭養育優先原則が明確に示されました。その実現に向けた手立てとして、上鹿渡和宏教授(当時長野大学社会福祉学部)が積極的に提言されたのが、「里親養育の包括的支援を行うフォスタリング機関の強化」や「乳児院および児童養護施設の多機能化・機能転換、高機能化を進める」などです。こうした改革には「実践・施策・研究の3つが嚙み合って実現へ向けて動いていくことが大切」と語る上鹿渡教授。社会福祉学、医学、哲学を修められ、障がい者支援や国際支援などの幅広いボランティア経験や児童精神科医としての経験から「社会的養護」に導かれたいきさつ、フォスタリングチェンジ・プログラムの導入、そして家庭養育への今後の取り組みなどをお聞きしました。
(聞き手/日本財団 国内事業開発チーム チームリーダー 高橋恵里子)
◇ボランティア活動で「当事者」を知る
―児童精神科医である上鹿渡先生が社会的養護のお子さんのことに関わるようになったいきさつを教えてください。
上鹿渡 もともとは文学部哲学科で倫理学を専攻し、大学時代は知的障がいや身体障がいのあるお子さんが通う学童保育のような場でアルバイトをしたり、脳性麻痺の方をサポートするボランティアをしたり、海外支援のNGOでも活動していました。
障がい者支援に関しては、アメリカ発の社会運動である『自立生活運動』が注目されていました。自立生活運動とは、障がいを持つ当事者自身によって、地域で生活をするために必要な制度や社会の意識を新しく作りかえるという運動のことです。ボランティア活動のなかで重度の脳性麻痺の障がいを持つ方と知り合い、一緒にアメリカで自立生活を体験する企画に応募して、1ヶ月ほど滞在したこともあります。旅では多様な経験をしましたが、「当事者の自己決定」の重要性を知ることができたのは大きかったと思います。
―海外支援ではインドにも行かれていたそうですが?
大学2年のときにはNGOが企画したインドの井戸掘りワークキャンプにも参加し、翌年からはキャンプリーダーを任され、結局は3年連続で参加しました。私の妻は精神保健福祉士・保育士ですが、この井戸掘りのワークキャンプが出会いでした。
インドでは単に井戸を掘るだけでなく、現地の方が自立して生活していくためにどのような支援が大切なのかということを見据えた支援が求められました。このキャンプでもやはり「まず当事者のことを考える」ということが身に付いたと思います。当時の学生は国際支援に目を向ける人も多くいましたが、国内でボランティアをしていると、困っている方々は近くにいて、私がしなければならないことはここにあると感じました。
こうした活動を通して医療や福祉の分野に関心が湧き、何をなすべきか考えているだけでなく、実際に困っている人の役に立つことを自分もできるのではないかと思うようになりました。障がい者支援に携わったことで、まずはそこで貢献できる医療の道もあるかもしれない。そう考えて医師を目指すべく、文学部の卒論を書きながら医学部にチャレンジすべく勉強を始めて入学することができました。
◇「医療」だけでなく「生活」への視点が重要
―医学部で精神科を選択なさった理由は?
医学部入学後の様々な経験を通して、障がいのある子どもや大人に携われる専門として精神科を中でも児童精神科の医師として子どもに関わる仕事ができればと思うようになりました。医学部1、2年生の時には単位認定で時間にゆとりもありいろいろと貴重な経験ができました。チェルノブイリの白血病の子どもに医療支援をするNGOの事務局でも活動しました。この時事務局員の一人として携わった、白血病や甲状腺がんの子どもに現地の医療者が自分たちで対応できるようにする医療支援、そのような治療を可能にする現地のシステム作りは、本質的な課題解決のための重要な方法として私の中に強く印象付けられました。また、日本の研究者が現地の課題を解決するための介入とその機会をとらえての研究、また現地で得られた成果を現地の方々に還元することの必要性と重要性を学びました。研究者と現場の当事者双方のニーズをうまくマッチさせてつなげていくことの大切さを知ることができました。
社会的養護の子どもと最初に関わったのもこのころでした。大学のそばに乳児院があり、早朝・夜間の手薄な時間帯にボランティアに行っていたのです。20人ほどの乳幼児が入所していましたが、この時間帯の職員数は明らかに不足していました。朝や夕方、私が来ると「ワーッ」といっぺんに子どもたちが駆け寄ってきたことをよく覚えています。一緒に遊んだり、オムツを替えたりなどのお世話をして、時間になって帰ろうとする私に向かって、ベビーベッドに入れられた子どもたちが立ち上がって「バイバーイ」と手を振る。「この子どもたちはこのままでいいのだろうか」と疑問を持ちました。
また、この乳児院にとても仲良しの姉弟が入所していましたが、お姉ちゃんが3歳を過ぎるため児童養護施設へ移るということになりました。引き離された弟は泣いていました。「なぜ離さなければならないのですか?」と訊いても「制度だから仕方ない」と。切なかったです。院長も職員も子どものために尽くしたいと思っている方々ばかりで、とてもやさしく一生懸命な方ばかりでした。それなのに、なぜこんなことになってしまうのか。システムに対しての疑問が心に残り続けました。
その後、いったん社会的養護の領域からは離れ、医学生としての勉強の日々を過ごし、地域医療で有名な佐久総合病院で研修医として勤務しました。「農民とともに」をスローガンに、予防医療や地域医療を展開する総合病院で全科ローテーション研修で医師としての基本を身に着けました。なかでも、精神科、児童精神科、心療内科での研修に重きを置いた臨床現場で感じたのは、児童精神科の分野は特に「医療」のみではなく「生活」の視点を持たなくてはならないということです。入院の場合は特に、病院は治療の場というより「育ちの場」という視点が重要です。
また、これは学生時代の障がい者ボランティアのときにも感じたことですが、当事者と支援者あるいは当事者と医療者に(特に医療者側が気づかない・気づけない)壁があるという問題です。私がこのまま真っすぐに医師の道を進むことで、この壁が越えられなくなる、見えなくなるかもしれない。そうなってしまう手前の段階で、まだ若く柔軟な時期にしかできないことをしたいと思いました。そして、研修医としての期間を終えた後、どこにも所属しないまま、国内外の医療や福祉、教育施設等「困った子ども」が様々な支援を受けている機関や組織を実習生のような形で回りました。
◇ケースワークを踏まえた医療を提供
―どこにも所属しないという状態はある意味で冒険ですね?
確かに、冒険でした。当時の児童精神科がある著名な病院で研修生や見学者として受け入れていただきましたが、このとき成育医療センターでは奥山眞紀子先生にお目にかかっています。福祉系の施設は精神保健福祉士の妻と一緒に実習で参加させていただくこともありました。どこにも所属のない者をよく受け入れてくださったと感謝しています。
収入も安定的な身分もありませんでしたが、多様な現場に自分を置き、医療、福祉、教育の領域や組織を横断して捉えてみるという経験が私には必要だったと思います。初めから専門性を深めたり組織の中でキャリアを積んだりすることも大切ですが、扱う領域が狭くなることで見えなくなるものある。一つの組織が提供するケアがすべての人にマッチすればよいのですが、そこからこぼれてくる人も出てくるのです。子どものニーズに合わせて施設や病院があると考えていましたが、実際には病院や施設、機関のできることに合わせて、または偶然出会った専門職のできることに合わせて子どもが対応されていることも多いことに気づきました。どの現場もみな一生懸命、子どものために取り組まれていましたが、ときに別の方法、場の方が子どものニーズにあっているのではないかと思うこともありました。
―その後、京都の児童相談所に勤務なさっていますよね。
1年の放浪が終わった頃、まずは精神科医、児童精神科医としての専門性を身に着けるため、静岡県立こころの医療センターで外来と入院を担当しました。2年間で指定医症例をすべて経験させてもらい、児童精神科での入院ケースを持つことで、子どもが「育ちの場」にいられることの重要性を学びました。この間児童相談所嘱託医もするなかで、児童福祉の領域で仕事をしたいと思うようになりました。運よく京都市児童福祉センターという児童相談所内の診療所の常勤枠に空きができたことから、市職員の児童精神科医として勤められることになりました。
そこに来る子どもは発達障害や不登校などが中心で時には虐待ネグレクト疑いの子どももいました。一時保護中の子どもの診察、児童養護施設の職員と一緒に相談に来た子どもなど、社会的養護のお子さんの診察もありました。同時期に情緒障害短期治療施設(現在の児童心理治療施設)でも担当医を務めるなかで、もっとも対応が難しく、なかなか治療がうまくいかない、一番困っている子どもたちが、社会的養護の子どもたちであるということが判ってきました。
このような子どもたちが生きやすくなる、課題が解決されるようなケアやサポートをするプログラムやシステムを作ることができたら、この子どもたちの周辺にいる課題を抱える子どもたちにとってもよい効果があるのではないかと思いました。社会人類学者のロジャー・グッドマン先生(オックスフォード大学日産現代日本研究所教授)が「日本の社会的排除の最たるものが社会的養護の子どもだ」とおっしゃっていますが、私も臨床を通してそう実感したのです。
京都のセンターの初診では、一人のお子さんに2時間、場合によってはそれ以上の時間かけて診察していました。それでも状態が改善しないことはあります。どんなに専門的ですばらしい療法を施したところで、それ以外の多くの時間を過ごす生活のあり方にアプローチできなければ、うまくはいかないのではないかと思います。医療とケースワーク(福祉)の両方が必要です。例えば、学校との連携が必要な場合、ご家族を通した連携はもちろん、場合によっては医師である私が直接学校、クラスに訪問し子どもの様子やクラスの状況を把握したり、学校の関係者(校長、教頭、学年主任、養護教諭、担任、特別支援コーディネーター等)と学校で、または診察室に来ていただき、支援についての会議をすることもありました。他にも子どもの障害を理解しようとする母親を理解できない家族に働きかけることや、児童福祉司や心理司も交えて家庭や施設、学校といった子どもの生活の場の調整をすることも多くありました。
そもそもケースワークは児童精神科医の役割ではありませんし、一般の病院なら「回っていきません」と怒られてしまうでしょう。実際、私は以前に勤めた病院では診察が長すぎると注意を受けていましたから。でもそれだけ丁寧に対応しないと改善は期待できないと私は思っていました。このセンターでは、私が思うような子どもの生活状況を調整することも含めた医療を提供することができました。
◇先駆的研究者である津崎哲雄先生との出会い
―そのあたりから社会的養護との関わりが深くなったのでしょうか?
そうですね、社会福祉、社会的養護のことをもっと深く学びたいと思うようになりました。センターから近い場所に京都府立大学あり、ここの教授でいらした津崎哲雄先生は「英国ソーシャルワーク」を日本に紹介した社会的養護・家庭養護の先駆的研究者です。私は津崎先生の下で学ぶことを決意し、仕事は非常勤にしていただき、府立大の大学院に入学することにしました。
津崎先生の著書『ソーシャルワークと社会福祉』(明石書店)の中に、イギリスの小児科医で精神分析医のドナルド・ウィニコットのことを語るくだりがあります。ウィニコットは社会的養護に関連して「医療よりまずは生活が大事」ということや「ケースワークの重要性」について言及しています。「まず大事なのは治療ではなく、子どもにとって安定した場をどう供給するかということだ」というような考えにいたく共感し、このような尊敬すべき先生もそうおっしゃっていることが支えとなりました。
その後、無事に博士論文を完成させました。この論文は、私が津崎先生始め先人から学んだことの集大成であり、そこに実証的な研究を組み込み、社会的養護の改革において「研究・実践・施策」という3つの歯車を噛みあわせて進めることの重要性を明確にしたものです。私の大学時代からのボランティア活動、医師としての研究や臨床での経験が、つながりを持った形でこの博士論文に反映できたと思っています。
私が社会的養護の領域で貢献できることの一つに、児童精神科医としての研究や実証的な評価があると思います。海外には社会的養護に関する重要な研究成果がありますが、そのことを児童精神科医は知っていても、社会福祉の現場にまで届いないものも多かった。また、日本の社会的養護の現場では、子どものためにおこなったことが、本当に子どもから見てよい形になっているかということを実証的に評価できないことも多かったのではないでしょうか。今後は、里親養育の効果なども実証的な評価が大事になってくると思います。
◇フォスタリングチェンジ・プログラムの導入
―里親支援のプログラムとして注目されているフォスタリングチェンジも広まってきていますね。
イギリスに医学生時代から何回か行き来して情報収集や関係づくりをしていくなかで、2011年5月に『フォスタリングチェンジ・プログラム』に出会いました。1999年にロンドンで始まったこのプログラムは、子どもの「言うことを聞かない」「かんしゃくをおこす」などの困った行動への対処の仕方、子どもと良好な関係の築き方を学ぶことができます。世界中でエビデンスがあると認められたスキルを統合し、段階的に目的や効果を考えて、体系的に編み直してあるものです。
私が児童精神科医として親子関係改善に取り組む際の考え方と重なっていましたし、とてもわかりやすく、取り組みやすく、効果も高いと感じました。全体は12のセッションで構成されており、ロールプレイで練習するだけでなく、家庭でトライしてみたことを次のセッションで仲間と共有するなど、スキルを自分のものにできるような工夫がされています。
思えば、京都の診療所に里親さん親子は診察には来ませんでした。困っている里親さんはいらしたと思いますが、施設の子どもしか診ていませんでした。児童相談所内の診療所に里親さんが「子どものことで悩んでいる」と相談に来ることはほとんどなかったのだと思います。もしも相談したら子どもをしっかり養育できない里親と思われ措置解除などもあるかもしれないと敬遠されていたのだと思います。悩んでいる里親さんに必要なスキルを身に付けていただいて、より多くの子どもたちとの関係改善に役立ていただきたいと思い、翻訳・出版をいたしました。
―里親さんから明確な効果があったというお声をいただいていますよね?
日本では、最初に福岡のSOS子どもの村JAPANなどが協力してくださり、日本財団から助成していただき現在、多くの里親さんに広めているところですが、養育者と子どもの両方に明確な効果があるプログラムだと評価をいただいています。また、私はこのプログラムの波及効果として、家庭養育と施設養育に携わっている人をつなぐ役割もあると感じています。
『新しい社会的養育ビジョン』が発表された後、日本の社会的養護はシステム再構築の過渡期にありますが、施設養育と家庭養育という取り組みの違いにより、意見が一致しないこともあります。その点、フォスタリングチェンジは、いずれの立場の方ともぶつからず、子どものために取り組むにあたって、どちらにとっても良いものとして進めていける点が大きなメリットだと思います。
フォスタリングチェンジのファシリテーターは、児童養護施設の里親支援員の方が担うことも多いのですが、セッションを通してファシリテーターと参加者である里親さんがとても仲良くなれます。
また、施設の方からは「子どもとの関係づくりに役立つと思うので、児童養護施設のスタッフ全員で受けたい」というお申し出もあります。イギリスには施設用にアレンジした「ケアリングチェンジ・プログラム」もあります。現在施設で暮らすお子さんのためにも施設での実施もサポートしていきたいと思います。
このプログラムは人間関係修復のスキルとして汎用性もあり、社会的養護の子どもとの関係改善のみならず、一般家庭での親子関係の修復にも役立つでしょう。
私は児童精神科医としてPTA会などのお招きで講演をすることもありますが、その際には必ず社会的養護のことや児童福祉法に子どもの権利が入ったことなどをお伝えすると同時に、フォスタリングチェンジの「アテンディング(付き添う)」という、子どものリードに従って10分間一緒に遊びながら子どもに肯定的注目を与え続けるというスキルを紹介しています。里親さんの下にある子どもにも好評なスキルです。
◇乳児院を再編しパーマネンシーチームを創設
―「新たな社会的養育の在り方に関する検討会」など、国の検討会でも里親支援の部分で積極的にご提言をなさっていますね。
検討会では、フォスタリング機関がどうあるべきか、そして乳児院や児童養護施設の多機能化・機能転換、高機能化にあたる部分を中心に資料を提出させていただきました。なかでも、イギリスの子どものためのチャリティであるバーナードス元代表(CEO)のロジャー・シングルトン卿のヒアリングを実施していただけたことは大きかったと思います。
シングルトン卿は70年代に施設中心であったイギリスの社会的養護を改革された方で、そのプロセスをすべてご経験なさっています。かつて多くの施設を運営していたバーナードスは、日本の施設関係者もお手本にしてきた存在ですので、その改革についてのプロセスは、現在施設を運営されている方にとっても説得力のあるお話であったと思います。
「施設から家庭への移行は乳幼児から始めるのがよい」「イギリスの経験からの示唆」など、貴重なご経験を踏まえた具体的なアドバイスいただくことができました。このヒアリングがあったことで、特に乳児院の多機能化や機能転換ということが具体的にイメージでき、新しい社会的養育ビジョンの中にもしっかりと位置付けられ、明記していただくことができたと思います。
―上鹿渡先生のこれからのご活動についてお聞かせください。
中心となるのは、国が提示した「家庭養育優先原則」に基づいた、乳児院の多機能化、機能転換に関する実践と検証です。そのパイロット・プロジェクトが長野県上田市にあるうえだみなみ乳児院での取り組みです。乳児院と県や市もまじえて話し合いを重ね、2016年6月より計画し実践展開しています。
これまで主に施設ケアを提供してきたうえだみなみ乳児院が、パーマネンシーチーム、フォスタリングチーム、施設ケアチームを再編し設置しました。フォスタリングチームは、フォスタリング機関にあたるもので、乳児院でリクルートや登録前研修等、アセスメントや委託後の支援等、里親養育支援に包括的に取り組みます。委託後の里親研修であるフォスタリングチェンジ・プログラムを実施するなどの先駆的な取り組みも他の児童養護施設と協働しておこなっています。
私が今後さらに注力したいのは、パーマネンシーチームの取り組みです。このチームは子どもが里親養育も、施設養育も受けずに済むよう、子どもとその家族を予防的に支援し、また、施設や里親での代替養育となった子どもを家庭に復帰させたり、また状況に応じて特別養子縁組につなげたりという役割を担います。その子にとって一番よい形でパーマネンシー保障、永続的な家庭につなげていくことを目的としています。
課題を抱える家庭、親子への支援もおこないます。その一つとして動いているのは妊娠葛藤相談です。思いがけない妊娠に戸惑っている方の相談に乗り、親子が一緒に暮らせるような支援や特別養子縁組の検討をします。パーマネンシーチームでは全国妊娠SOSネットワークと養子縁組団体ベアホープの助言・協力を得て展開しています。
こうした実践が進めば、将来的には乳児院の中でフォスタリング機関が本体機能となることもあり得ると思います。そのときは「乳児院」という名称も変わるかもしれません。ただし、多機能化や機能転換は、その施設の規模や地域の福祉資源との組み合わせによって異なります。うえだみなみ乳児院も機能転換まで進めることになるかどうか判りませんが、目的は機能転換そのものではなく、子どもにとっての最善の利益を保障することであり、施設の新たな機能・役割によってそれを実現できるようにすることです。
―まずは乳幼児から進めることが大切な理由は?
シングルトン卿もおっしゃっていましたが、本来は児童養護施設も含めた施設養護全体の多機能化や機能転換を進める必要がありますが、全体のシステム変革は検討することが多くて、進みにくい面があります。しかし、乳幼児であれば、「家庭養育を優先すべき」という方向性が世界的潮流にもなっており異論のないところだと思います。ですから、まずは乳幼児という“上流”から家庭養育を推し進めることで、全体にも波及効果が及んでくると考えています。また乳幼児の発達に施設ケアが及ぼす影響の大きさを考えれば、乳幼児への取り組みを優先するのは当然のことだと思います。
社会的養護に関わる方々は、「子どものために」という思いで一致しているはずです。その善意による取り組みが、当事者である子どもにとって最善の利益を保障できるように、理不尽なシステムによって、私が乳児院で出会ったあの姉弟を引き裂いたようなことを起こさないためにも、日本の社会的養護のシステムの再構築のために私ができることを続けていきたいと思っています。
新しい社会的養育ビジョン(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000173888.pdf
私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。
すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。