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インタビュー

養子当事者インタビュー①「家庭の中で育った幸せ、家庭を築けた感謝」

<養子当事者インタビュー①>

当事者の声から考える特別養子縁組制度のこれから

家庭の中で育った幸せ、家庭を築けた感謝

特別養子縁組制度については、2016年の児童福祉法改正により家庭養護として優先的に選択されていくとされ、2019年の民法改正により対象者が拡大されるなど、ここ数年で大きく変化しています。一方で、特別養子縁組家族への情報提供やサポートはまだ不足しており、一層の拡充が求められています。その際には、当事者の声を聞きながら進めていくこと、とりわけ養子当事者として育った方々のご経験に耳を傾けることは大切なことです。こうしたなか、ハッピーゆりかごプロジェクトでは養子として家庭に迎えられ、成長された当事者のインタビューを行いました。
第1回にご登場いただく40歳代後半の女性Kさんは、特別養子縁組制度ができる以前に普通養子縁組で家庭に迎えられました。養親からの真実告知はなく、高校生になって自ら調査して知ったそうです。現在はご自分のお子さんも成長され、ご両親をサポートすることで恩返しをしたいと語るKさん。これまでのご経験をお話しいただきました。

(聞き手/ハッピーゆりかごプロジェクト 新田歌奈子)

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養子であることを隠されて育った

―現在のご家族のことについて教えてください。

両親(養親)は年を取りましたが、今のところ元気で過ごしてくれています。私は20代で結婚し、二人の子どもに恵まれ、その子どもたちも高校生、大学生になりました。振り返ると、親子関係でいろいろな出来事がありましたが、今は老いていく両親を支え、最期まで見送りたいと思っています。

―小さいころのことからお聞かせいただけますか?

1歳のときに普通養子縁組で両親の元に来たと戸籍に書いてありました。養子であることは知らされずに育ちましたが、高校生のときに自分で戸籍を調べて知りました。私を迎える前、母はお腹に詰め物をして妊娠を装ったり、引っ越しをしたりと、周囲に知られないように準備していたようです。親戚は知っていましたが、普通に“姪っ子”としてかわいがってくれていました。

両親は早くに結婚したものの、10年間不妊だったようで、祖父母からの「子育てを経験したほうがいい」という助言もあって、30代半ばに児童相談所を訪ねたようです。現在の特別養子縁組制度は「子どもの利益」が大前提ですが、普通養子縁組で私が迎えらえた時代は、「将来は面倒もみてほしいから女の子がいい」「発達の遅れがないか確認してから引き取りたい」という親側の希望も聞いてもらえたそうです。その希望に叶うのが私だったということでしょうね。乳児院ではとても大人しい、手のかからない子だったと聞いています。家庭に引き取られてからは、表情が豊かになり、本来の活発さが表れてきたようです。

―何かを秘密にされていると感じたことはありましたか?

小学生の頃、「ちょっと普通と違うのかな」と思ったことはあります。お友達同士で「私はお父さんに似ている」とか、そんな話をしますよね。仲のいい子から悪気なく「お父さんにもお母さんにもあまり似ていないね」と言われていました。

確かに、顔もあまり似ていないし、性格も違う気がしました。両親は慎重で細かいところもありました。父はいつも優しい人、一方で母は厳しかったです。「きちんと育てなくてはいけない」という思いが人一倍強かったのだと思います。自由奔放で元気いっぱいの私に手を焼いていたことでしょう。よく叱られたものですが、それでも私は母のことが大好きでした。

小学校高学年の頃、風邪で病院を受診した際、受付のガラス越しに自分の保険証が見えました。そこに「養女」と書いてありました。帰宅してすぐにその意味を辞書で調べ、「えっ?」とびっくりしましたが、「何かの間違いだろう」と思い込むようにしました。日頃から保険証は私に見られないように隠してあったため、確認はできませんでした。

両親は私を育てることにいつも一生懸命でしたから、大切にされているという実感はあったのですが、よく夫婦喧嘩をしていたのがつらかった。私のことが原因と思える喧嘩もあり、両親が口をきかない間はずっと憂鬱でした。

中学生になって思春期に入ると、親と衝突することも増えてくるし、成長するにつれて体つきも違ってきました。「やはり“そう”なのかもしれない」と疑心暗鬼になりながらも、親に直接聞くことはできませんでした。役所に行って確かめるのも怖かった。でも本当のことを知りたい。その頃、高校生になったら調べに行こうと思っていました。

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一人で役所に戸籍を調べに行った

―それを本当に行動に移したのですか?

高校一年生になってから、一人で役所に行きました。まず居住地の役所で住民票を確認して、事実を知りました。予想はしていたものの、ショックで……。その日は役所からまっすぐ自宅に帰ることができませんでした。夜に帰宅すると、両親は食事を済ませていて、私の分のカレーが用意されていたのですが、「私はこの家でごはんを食べていいのかな」という気持ちがこみ上げてきました。これまで私にしてくれたこと、私が両親にしてしまったことを思い出し、泣きながら食べたカレーは、まったく味がしませんでした。その夜は自室で声を殺して泣きました。

養子である事実を知っても、両親の前では平静を装って生活し、きちんと登校しました。でも、勉強が手につかなくなり、成績は落ちる一方。2年生のときの担任の先生が親身になって相談に乗ってくれたのと、2人の友人にも話ができました。元々は何でもポジティブに考えようとするタイプだったこともあり、徐々に元気を取り戻しました。

その後、部活があると偽って丸一日出かけ、遠方にある本籍地の役所で戸籍の閲覧を申し出ました。役所の方も私が閲覧したい理由を聞いてびっくりなさっていました。「あなたを証明するものを出してください」と言われても生徒手帳しかありません。印鑑の代わりの指紋認証も、刑事ドラマの犯人みたいに、指先だけでなく周囲をぐるりと取られました。

今ほど個人情報の管理が厳しくなかったせいか、戸籍は出してもらえました。それを見て、私はまたショックを受けました。父母の欄には、まったく知らない名前が記されていたからです。私はそれまで「実の親は遠縁の誰かかもしれない」と、ぼんやり思っていたのです。

「私はどこの誰なのだろう」

身近な人とも血縁がないということに孤独を感じました。

自分の住民票や戸籍を調べたことは両親には言えませんでした。言っても混乱させるだけだと思ったからです。当時、私も高校生らしい悩みを親に相談することがあったのですが、一緒になって心配しすぎたり、違和感のある答えが返ってきたりと、かえってややこしくなるのが常でした。そのせいか、私は自分で何でも解決するタイプになっていたのです。「私は知っている」ということを告げたのは成人後、しかも生みの親に会いに行った後でした。

生母とその家族から事実を聞く

―実親さんにお一人で会いに行かれたのですか?

高校を卒業し、医療関係の専門学校に進学しました。最終的な戸籍は遠方に移されてありましたので、県外に進学した友人を訪ねるという理由をつけて、本籍地の場所まで新幹線に乗って出かけました。旅費はこつこつ貯めたお小遣いです。

その役所で入手した戸籍には、実親の住所も記されていました。私はそのまま吸い寄せられるようにその家にたどり着きました。インターホンを押してみましたが、留守でしたので、玄関のドアの前で何時間もひたすら待ち続けました。そしてようやく帰ってきた若い女性は、存在すら知らない実の姉でした。そこで事情を話すと、すぐに生母のところにも連れていかれ、「よく会いに来てくれたわね」と大感激されて、そのまま祖父母にまで会うことになったのです。

生母は手に職を持って働いている活発な女性で、大胆なファッションに驚きました。私のポジティブな部分は、生母から受け継いだのだなあ、と感じました。生母はストレートにものを言うタイプで、父である男性の理不尽な行為から逃げて、私が乳児院に預けられたことなど、自分にまつわるいろいろな話を一気に聞いて目が回りそうでした。「苦労をかけてごめんね」と言ってくれて、翌日、生母と姉が駅まで見送ってくれました。帰りの新幹線で一人になったとたん、涙があふれて仕方がありませんでした。

―ご両親(養親)にはその後にお話しになったのですね。

なかなか言えませんでしたが、しばらくしてようやくこのことを話しました。当然ながら、ものすごく驚き、そして悲しんでいました。私が勝手な行動を取ったからです。両親は「いつか話そうと思っていたけれど、話せなかった」と泣いていました。養母は、生母に会ったことが相当ショックだったらしく、「会わないという約束を破った」と生母に対しての怒りをあらわにしていました。

すべてを話した後は自宅で過ごすのが息苦しく、医療専門学校が終わるとアルバイト先で過ごして深夜に帰宅し、早朝に出かけるという日々が続きました。

実はその後、しばらく生母や姉たちと連絡を取り合っていました。養母はそれを嫌がり、「私と生みの母とどちらを大事に思っているの?」と問われ、板挟みの状態が続きました。そのうち私もその状態に耐えられなくなってきて、生母からの連絡には居留守を使うようになりました。すると、養母の険しい表情も和らぎ、日々の生活も落ち着き始めました。私は複雑な気持ちでしたが、それ以降、実家庭とは連絡を取らないことにしました。

孫の誕生により家族の笑顔が増えた

その後、私は結婚を機に家を出ました。両親は以前のような喧嘩をしなくなり、そして孫が誕生すると、その孫をとてもかわいがってくれました。二人とも笑顔が増えて明るくなっていきました。孫の存在が両親の夫婦関係を良い方向に変化させていったのです。孫をかわいがってくれる両親の姿に私の心も癒されていきました。

私自身もわが子がかわいくてたまりませんでした。子育ては本当に楽しかった。でも、時おり「子どもはこんなにかわいいのに、なぜ私を育ててくれなかったのだろう」と、出産前にはなかった感情も湧き上がりました。そして、養子であることを隠し続けて、誰にも相談できないなかで子育てをしていた両親のしんどさに思いを寄せるようになりました。あの頃、相談できる人がいれば、あれほどの夫婦喧嘩をしなくて済んだのではないかと。自分の子育てを通して、両親が私を一生懸命に育ててくれたことに対して、感謝の気持ちがどんどん強くなっていきました。

両親は、孫に血縁関係がないことを言わないでほしいと言いました。でも、私は自分の子どもたちには本当のことをきちんと話していきたいと思っていました。なので、それぞれの子が中学を卒業する春休みに伝えました。

「この出来事は私に起きたことで、あなたとおじいちゃんおばあちゃんとの関係は今まで通り変わらないよ。二人は血がつながらなくても私を大事に育ててくれた立派な人たち。こうして私が育ったことで、あなたたちもこの世に生まれて、命がつながって、今があるということを伝えたかった。これからもおじいちゃん、おばあちゃんを大事にしてほしい」と話しました。二人とも驚きながらも、理解してくれました。

縁組前から縁組以降も継続サポートを

―これまでのご経験から、どのような支援があればよかったと思いますか?

特別養子縁組前から子育て中もずっと、継続的に親子をサポートしてくれる専門職が必要だと思います。私の両親の場合、悩みを理解してくれる人はどこにもいなかった。当時の児童相談所で仲介してくださった方もそれきりですし、仮に支援を申し出てくれていたとしても私の両親は、「実子として育てているからもう関わらないでください」と断っていた気がします。

養親の中には、常に血縁がないことを意識しながら過ごす人もいるかもしれません。養親への支えによって落ち着いた子育てができれば、それが子どもにも伝わり、子どもの心も満たされると思います。

今は養子であることを隠す時代ではないので、養親を支援してくれる人は、子どもから見たら「お父さんとお母さんのお友達」という印象になるように、その家庭に訪問してくださると良いですよね。「今日はお友達が遊びに来てくれたよ」という感じで、小さいころから親と子の両方に寄り添ってくれる存在だとありがたいです。やがて子どもが大きくなって、養子であることに悩んだとき、その人が相談に乗ってくれたら心強いと思います。

私は相談できる友人や先生に恵まれましたが、両親のこれまでのいきさつをご存じの方であれば、細かいところまで理解してもらえる気がします。親と子の共通の支援者で、その方が心理や福祉の専門職であれば、なおさら心強いと思います。

子どもは自分のことを知りたいだけ

―ご自分だけでルーツを辿られましたが、誰かにサポートしてほしかったですか?

そのときは、一人で行くしかありませんでした。私の事情を理解してくれている人がいたら、お願いしたかもしれません。事情が明らかになって複雑な思いでトボトボと歩く帰り道、一緒に歩いてくれる人がいて「あなたは決して一人ぼっちではないよ」と言ってもらえたなら、どんなに心強かったかと思います。

私は一人で勝手に行動したことで、育ての母には、「生母と、どちらが大事なの?」という気持ちにさせてしまったのですが、どちらが大事だとか、同じ土俵に上げるような存在ではありません。上手にバトンを渡してもらったのです。だから養親さんは子どもが生みの親に会いたがっても、負けたとか、淋しいとか思わないでほしいです。子どもはただ自分のことを知りたいだけなのですから。

大人たちが決定したことに、子どもである私の人生は左右されたわけです。そのことを私だけが知らなかった。赤ちゃんのときは仕方ないですが、私のことなのに私だけが知らずに、ご近所の人は知っているのはおかしな話です。

育ての親はわが子と同様に大事に思うからこそ、言えない気持ちもわかります。ルーツを調べたいと言われると、頭ではわかっていても、心では淋しいと思われるかもしれません。でもそんな風に思わずに、お子さんと一緒になって考えてあげてほしいです。そんなときにこそ、共通の知り合いである支援者がいてくれたら良いと思います。

―実親さんに関しての客観的事実は、どのように知らせてほしいですか?

私は生みの親を直接訪ねるという大胆な行動に出たので、実父の事情についても心の準備がないままに聞いてしまいました。できれば、心理や福祉職でトレーニングを受けている支援者が、養親と相談して、子どもの成長の度合いや親子関係を鑑みて、どこまでの事実を伝えたらよいのか、よく考えてくださると良いと思います。その際、養親さんが「私たちから聞きたいか、支援者から聞きたいか」ということを子どもに訊いてくれるとより良いと思います。

実親についての情報は、肯定的に伝えてほしいです。実親に関しての情報量は少ないですから、その少ない情報がネガティブだと、子どもにとってはつらいのです。現在進行形の親子なら、仲が悪くても和解できれば、情報は上書きされますよね。でも会えない人の情報は上書きできないので、ネガティブな言葉がそのまま固定されます。特に育ての親には生みの親のことは肯定してほしいです。

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すべての経験が今の幸せにつながっている

―改めてご自身のご経験を振り返って、どのように感じていますか?

私は家庭のモデルの中で育つことができたことに感謝しています。そのおかげで私自身が家庭を持って、幸せな子育てができました。

生むことはできたけれど育てられなかった、生むことはできなかったけれど育てることはできた、その二人の母がバトンを渡してつなげてくれた私は、ありがたいことに生んで育てることができました。決して当たり前ではない幸せ。私は生みの親のポジティブなところと、育ての親の慎重なところ、両方の親の良いところを受け継がせてもらったと思います。

小さいころから隠し事がなく、あんなに夫婦喧嘩もひどくなければ、もっとのびのびと育つことができたのかなあ、と思うこともあります。でも私にとって両親は誇らしい存在です。老いていく両親を前にして思うのは、「できる限りノーと言わない」ということです。両親がしたいと言ったことを叶えてあげたいと思っています。

子どもからは、「お母さん、おじいちゃんとおばあちゃんの言うことはぜんぶ聞いてあげているけど、それ本当にやりたいの?」と言われたこともあります。鋭いですよね。でも、この両親がいなければ、私の今の幸せはないから。決して義務感からではなく、私がしてもらったことのお返しをしたいのです。

今日は養子当事者という「子どもの立場」のお話しをしましたが、私自身が年を重ねて、結婚・出産・子育てという人生経験ができたことで、生みの親、育ての親の両方の気持ちがわかるようになりました。今はNPOの活動で、困難を抱える女性のサポートをさせていただいています。すべての人生経験が今につながっていることに心から感謝しています。

インタビューを終えて、、、、

近年は、児童相談所でも民間の養子縁組団体でも真実告知をするように研修などで伝えていると思いますが、以前はこうした指導が充分とはいえない時代もあり、養親からの真実告知が行われていないケースも多々あるとお聞きします。 Kさんは真実告知の必要性を伝えることも含めた、ご両親への支援を訴えておられました。

養親さんの立場からしてみれば、子どもが生みの親のことを知りたいと思ったり、会いたいと思ったりするのは複雑な気持ちになるかもしれません。ただ、日本財団の養子縁組調査でも、「生みの親のことを知りたいと言われた時には、悲しい顔はしないでほしい。子どものその気持ちは、生物学上の『親』を知りたいという気持ちによるものだと思うから。そして会えないのであれば、その理由や養子縁組について、わかりやすく制度の決まり等を教えて欲しい」という意見があり、生みの親に会いたいという気持ちと養親さんへの愛情が、必ずしも相反するわけではないと感じます。文化的な違いはあるかもしれませんが、アメリカなどでの臨床的研究からは、秘密にすることが養子のアイデンティティの形成を妨げる原因となり、逆に養父母が血縁の父母の情報を子どもに提供することで 「養子である子どもや青年に対して最も肯定的な成果をもたらす」という報告もあります。財団調査による養子当事者の生みの親への気持ちは、感謝してる、会いたい、興味がない、幸せでいてくれればいい、会いたくない、憎いんでいるなど様々でしたが、それぞれの子どもの気持ちに沿った支援を提供する必要があるでしょう。日本でも今後、国が特別養子縁組を推進していくのであれば、政府が「養子縁組に関するデータをきちんと管理し、真実告知やルーツ探しのサポートを拡充していって欲しいと思います。

日本財団は、日本国際社会事業団(ISSJ)による養子縁組カウンセリングを支援しています。真実告知やルーツ探しについて御相談したい方はこちらに御相談下さい。以外の養子縁組の場合も相談にのってくれます。

ISSJの連絡先

ご相談ください

(日本財団 新田歌奈子)

参考資料:

「養子縁組をした762人の親子の声」

「子が 15 歳以上の養子縁組家庭の生活実態調査」

森和子「養子のアイデンティティ形成に関する研究の動向と展望 ―「真実告知」と「ルーツ探し」に着目して―」文京学院大学人間学部研究紀要 Vol. 19, pp. 197 ~ 209, 2018. 3

私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。

すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。

プロジェクト概要