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インタビュー

公開研究会 講演「こうのとりのゆりかごとSOS赤ちゃんとお母さんの相談窓口」

慈恵病院理事長兼院長 蓮田太二氏

2014年1月17日(金)14:00 日本財団ビル1階 

熊本の慈恵病院にて「こうのとりのゆりかご」が始まり、6年経ちました。この間、92人の赤ちゃんがゆりかごに預けられています。「安易な子捨てが増える」「子どもの出自をしる権利を奪う」というご意見もある中、慈恵病院は「赤ちゃんが生き延びる権利が最も重要で優先されるべきである」との信念を貫いています。また、慈恵病院は「SOS赤ちゃんとお母さんの相談窓口」を設置して、24時間無料で全国からの電話相談を受け付けています。今回は「社会的養護と特別養子縁組研究会」の第4回として、公開研究会という形で、慈恵病院の理事長兼院長である蓮田太二先生よりお話をしていただきました。

慈恵病院の歴史的背景について

初めに、慈恵病院の歴史的な背景についてお話をいたします。

明治22(1889)年、フランス人のジャン・マリー・コール神父が熊本に派遣され、手取教会を設立されました。その裏手にあった、加藤清正の菩提寺でもある本妙寺には、当時とても多くのハンセン病患者さんが集まっていたのですが、その様子に心を痛めた神父は、その方々の救済を始めました。ところが、非常に忙しく過労となってしまったため、フランシスコ修道会から5人の20代のシスターを派遣してもらうことになり、明治34(1901)年にハンセン病の施療院「待労院」が作られました。シスターたちは、ハンセン病の患者さんを救い共に暮らしながら治療をしていたところ、そのうち「ここに託せば赤ちゃんが助けてもらえる」という噂がたちました。シスターたちは託された赤ちゃんの命を救い育てたのです。やがて、ここはたくさんの赤ちゃんが預けられる乳児院となっていきました。

私が赴任してきた昭和44(1969)年当時、聖母愛児園という児童養護施設を運営していました。昭和53(1978)年、それまでの社会福祉法人から医療法人聖粒会慈恵病院へ事業を移管しました。

 こうのとりのゆりかごへのあゆみ

当院は熊本県いのちの懇談会(東京の生命尊重センターの支部)主催の電話相談に参加しました。いのちのダイアルとして一年に一週間だけ妊娠相談を受けていたのですが相談件数は多い時で一週間に26件。その後「こうのとりのゆりかごを作る思いを持っている」という報道がなされたら、急激に相談が増え501件となりました。昨年は年間1,000件を超えています。

ゆりかご開始前は妊娠の相談が多いと思ったのですが、寄せられる相談内容は養子縁組についてのものが多く驚きました。合計3,767件の電話相談のうちの多くが養子に関するものでした。ちなみに、養子縁組では通算1,092件の申し込み希望を受けています。

ドイツの「ベビークラッペ」を視察 

こうのとりのゆりかごができるまでの経緯をお話しします。

2004年5月、ドイツの赤ちゃんポスト「ベビークラッペ」を視察しました。ドイツでは年間の捨て子が推計約1,000人、捨てられる場所は森やゴミ箱などです。捨て子1,000人のうち発見される子は40人程度。そのうち生きて発見される子が20人、死亡した子は20人だそうです。

当地では、ハンブルグのシュテルニパルク保育園が運営しているベビークラッペを視察しました。これは2000年4月開設のベビークラッペ第1号です。

ベビークラッペは2004年当時、ドイツ国内に70か所設置されていました。運営者は保育園や病院など様々ですが、いずれも仕組みは同じです。

預けられた赤ちゃんは、まず性別と障害の有無を調べられます。同時に母親に向けて「迎えにきて」というメッセージを新聞に掲載します。赤ちゃんは里親(特別にトレーニングされた専門の里親)のもとで育てられます。8週間が経過しても母親から連絡がない場合、赤ちゃんは新しい家族に養子に出されます。ドイツでは預けられたほとんどすべての子が家庭で育てられています。

なお、ベビークラッペ以外にも、妊娠葛藤相談、匿名出産といった母子を守る施策があります。出産に困難な事情がある場合は妊娠葛藤相談所で相談を受けることができます。予期せぬ出産に対しては匿名での出産が可能です。そうして施設の中で安全に出産ができます。

ドイツには70か所のベビークラッペがあることは説明しました。年間で1か所40人程度の預け入れを推測して開設しているそうですが、実態は1か所につきだいたい2年で1人の赤ちゃんだそうです。それにもかかわらず、なぜ70か所も必要なのか、と視察先の小児科医に質問したところ大変なお叱りを受けました。「各地に設置して、いつでも利用できる状態にしておくことが大切なのだ!」。その言葉を聞き、私は大変反省しました。

日本版ベビークラッペをつくろう!

それでも赤ちゃんポストを設置するまではかなり迷いました。捨て子助長にならないか? 赤ちゃんの出自がわからなくなるのでは?

その折も折、熊本で新生児が捨てられて亡くなる、という事件が起きました。また、児童虐待報道に触れるにつれ自分を含めた関係者への怒りが湧いてきました。

そのとき、マザー・テレサの「愛の反対は無関心である」という言葉を思い出しました。私は決心しました。「日本版ベビークラッペをつくろう!」。

すぐに関係各所に相談に行きました。警察ではすぐに了解してくれましたが、熊本県福祉課と熊本市保健所ではとても時間がかかりました。病院の改築では通常は2週間程度で許可がおりるところ、ゆりかごでは4か月もかかりました。

こうのとりのゆりかごの概要

設置場所は、人目につかないよう病院の職員通用口のすぐ横にしました。ゆりかごまで来ると壁にはマリア様の像、右手に扉があり、扉をあけると室内のブザーが鳴ります。扉には「秘密は守ります、相談してください、赤ちゃんのために」と書いてあります。室内にはお母さんへの手紙が置いてあります。手紙を受け取らないと奥の扉が開かない仕組みです。赤ちゃんを置くベッドは赤ちゃんが転落しないように、その周囲をプラスチックで囲んでいます。

お母さんの中には、赤ちゃんを預けてもその場を去りがたく、たたずんでいる方がいます。そんな方に対しては隣のお部屋にご案内してお話を伺います。

赤ちゃんが預けられると警察と児童相談所に報告します。赤ちゃんに異常が認められなければ乳児院、もしくは里親へと引き取られます。乳児院の場合、3歳になると児童養護施設へ移り、18歳で退所することになります。これまで92人の赤ちゃんが預けられました。全国各地からやってくるのですが、特に関東、関西からが多くなっています。

最初にゆりかごに預けられたお子さんは3歳くらいでした。今、その子は里親さんのところで立派に成長しています。

預けられた赤ちゃんを幸せにするには

私たちは赤ちゃんの命を救うことだけを考えていてはいけません。預けられた子どもたちがその後も幸せに育ってほしい。そのためにはどうすればいいのでしょうか。

視察をしたドイツでは、ほとんどの子どもが養子に迎えられるなどして、家庭で育てられています。

私は日本で特別養子縁組に取り組んでいらっしゃる方々から、家庭で育てることの重要性を教えられました。

あるとき60歳くらいの年齢の方が訪ねてこられました。「私は養父母に育てられた。戦時中から戦後の物資がないときに、養母は自分の服から仕立てた服で身ぎれいにして幼稚園に通わせてくれた。障害のある妹がいたが二人とも愛情深く育てられて仲良く育った。17歳のころ、知人が訪ねてきて『産みの親に会いなさい』と言ったので会いたくなかったけど一緒に会いに行った。会話もなく気まずかった。本当の母は育ての母だ。ゆりかごで救われた赤ちゃんも愛情深い家庭で育てられるようにしてください。」と、長い時間かけてお話ししてくださった。

こうのとりのゆりかごを始めるまでは、日本もドイツのように、預けられた赤ちゃんは家庭で育てられるものと思っていました。私は知識がなく、日本ではまず乳児院にいく、という流れを知らなかったのです。

「こうのとりのゆりかごで救われた赤ちゃんも愛情深い家庭で育てられるようにしてください」と、当時の県の児童相談所の方に訴えたところ、

「養子として育てよう、などという人はいません。里親もいません」と言われました。

「どうしてあなたがたは子どもの幸せを考えて動いてくれないのか、ゆりかごには縁組希望者がとても多くいます」と繰り返し訴えたところ、熊本県が特別養子縁組に取り組み、縁組ができたのです。それでも、赤ちゃんが預けられてから9か月経っていて、驚きました。9か月では遅いのです。もっと早く縁組できるしくみが必要だと思います。

 現状での問題点 

 ①預けられた子どもは自分の親を知ることができない

熊本市では3ヶ月に1回、こうのとりのゆりかごの検証会議が行われています。その会議では出自の問題をよく言われます。「赤ちゃんが預けられたら、走っていて実の親を捕まえて子どもを育てるように説得せよ」とまで言われます。そこで私と長時間の論争になるのです。命より出自にこだわる方は、「道端に捨てればいいじゃないか、そうしたら警察が捜査して親がわかる、命より出自だ」とまで言われますので、そこで私と長時間の論争になってしまいます。

②預けられた子どもはまず施設で育てられる

施設が悪いと思っていませんが、乳児院で家庭に変わらぬ愛情をどんなに受けていても、3歳になると児童養護施設に移ることになり母親と思った人(職員)と離れることになります。離れてから、ずっと泣き続ける子もいるそうです。母親から裏切られた、という気持ちを子どもに抱かせることは精神的虐待と言えないでしょうか? 預けられた赤ちゃんはできるだけ早く一貫した家庭で育ててほしいと思います。

 ③施設の場合、公的な経済負担が大きい

0歳から18歳までの施設養育の場合、公的経費として子ども1人につき公立で1億1,520万円、民間で7,680万円、里親で2,575万円がかかっています。莫大な費用です。しかし、特別養子縁組では公的負担はほとんどかかりません。費用負担の面からも家庭での養育が必要だと思います。ちなみに、ゆりかごから190人の赤ちゃんが養子縁組をされていますが公立の施設経費で計算するとざっと218億8,800万円。この中から少しでもゆりかごに対して支援してほしいものです。

 ④育児放棄を助長する

こうした批判を多く受けましたが、こうのとりのゆりかご開設後、捨て子の件数は減っています。他の場所に赤ちゃんを捨てれば親は保護責任者遺棄罪に問われますが、ゆりかごに預ければ犯罪にはならないので、これも歯止めになっていると思われます。ちなみに杏林大学教授のデータによれば、ゆりかごを始める前の平成18年は年間で59件の遺棄がありましたが、ゆりかご開始後は減ったそうです。減少数はゆりかごに預けられた数に匹敵しています。

 

子どもは家庭で育つほうが望ましい

現在、ゆりかごで預けられた子どものうち9割の子どもたちが施設で育てられています。しかし、ベビークラッペのあるドイツをはじめ、フランス、アメリカ、韓国、台湾などでは家庭で育てています。 

家庭のほうがが望ましい理由は次のとおりです。

  1. 愛情深く育てられた子どもは親の出自で悩む程度が軽い。また、社会生活の上でも前向きである。
  2. 愛着形成は生まれてすぐからでき始め、母と子の愛着形成は乳児期からが理想である。
  3. 子どもは家庭で育ってこそ、将来自分の家庭をつくることができる。
  4. 家庭で育つことによって、社会との触れ合いが多くなる。

子どもを守る特別養子縁組

こうのとりのゆりかごのNICUスタッフの一番の悩みは、長時間母子が分離することによって愛着形成ができなくなることです。「育児の原点は教育でなく愛されることによって学ぶのだ(A.モンタギュー)」という言葉がありますが、そのとおりだと思います。

愛着形成は生まれてすぐに始まるといわれています。特別養子縁組を決めた養父母は、赤ちゃんが生まれた直後から実子のように育てることで親子間での愛着形成が促進されていくといわれています。その後、障害があることがわかってもそれを受け入れて育てていくようになるそうです。

日本でも養子縁組を希望する家族は増えています。登録されているだけでも7,500家族あり、実際はもっと多いと思われます。年度別容認件数は年間300人前後です。

慈恵病院での特別養子縁組をした赤ちゃんは7年間で190人います。特別養子縁組をするのは、赤ちゃんの愛着形成のためだけではありません。施設養護にいくと18歳で実社会での自立を迫られるのですが、そうした子どもたちを守るためでもあります。ちなみに、元刑務官の方によれば、刑務所には施設出身の方が多く収監されているそうです。18歳で施設を出て自立を迫られたため、盗みなどの犯罪に手を染めざるを得なかったケースが多いとのことです。

病院に寄せられる相談の数々

相談件数が1,000件を超えたことはすでにお話しましたが、テレビドラマ放映後(2013年9月)、さらに増加。相談の手段で多いのは電話で、時間帯は9時~17時が5割、それ以外の時間帯が5割。地域別では県外が7割。年齢区分では、20代~30代が7割と最も多くなっています。若年妊娠では深刻な内容がほとんどです。

特別養子縁組を希望される方に対しては、家族を含めて何度も話合いを繰り返して縁組につなげていきます。そのうち、若年妊娠での縁組は23%。一番若かったのは小学校5年生でした。職業別では学生が約8割。多くは家族と一緒に暮らしているが、家族が気付いていないケースです。

これらのことから、性意識の低下、性行為の低年齢化が見え、家庭や学校での性教育が非常に大切だと考えています。若年層の性感染症の増加もあり、熊本は全国一です。人工妊娠中絶の増加、家族のきずなの薄弱さなども問題です。

数回にわたるかかわりにより、赤ちゃんを自分で育てることになった事例が235件、特別養子縁組となった事例が190件、乳児院に一時的に預けることとなった事例が28件。453人の赤ちゃんの命を救うことができました。

実母と養親を時間をかけて支援する

実母への支援はとても大事ですし、時間がかかります。分娩から産じょく期までは、スタッフが本人からじっくり話を聞きながら退院までに心の痛みが癒されるように努めています。退院後も1週間~1か月検診とフォローを続けます。その後の人生を前向きに進んでいけるように支援します。

養親に対しては、出産前は病院でのオリエンテーションをします。出産後5日から1週間から一緒に入院してビデオを見てもらい、沐浴などのトレーニングを行います。虐待などにつながらないように、退院後の不安を減らすことが目的です。退院後も折に触れてこちらから様子をうかがいます。24時間電話相談をしていますが、これは虐待防止にもなると思っています。

特別養子縁組をした養母さんは、出産の隣の部屋で待機し、手に汗を握り赤ちゃんが産まれるのを待ちます。養親さんは、産まれてきたばかりの子を抱いてぼろぼろと涙を流しています。赤ちゃんが縁組家庭へ託された後は、お食い初め、百日祝い、初節句、一歳の誕生日と、次々に写真が届きます。その写真を見るのが私はとても楽しみです。

最後に

子どもは一人ひとりがかけがえのない存在です。子どもに温かい家庭と社会環境を与えましょう。かつて、当たり前のように子どもに向けられていた多くの人の手を、社会全体の努力によって取り戻し、子どもを通した新たな社会のつながりをつくっていきましょう。

私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。

すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。

プロジェクト概要