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#養子の日2022 オンライン「養子の日2022はオンラインプログラム」レポート公開
日本財団は特別養子縁組制度を広く周知し、理解を深めていただくための記念日として「4月4日を養子の日」と制定し、毎年イベントを開催しています。2022年4月は『養子の日2022オンラインプログラム』と題し3部制で開催されました。
第1部『多様な家族のカタチを考える』では、実子がいる養子縁組家庭の方々にご出演いただき、養子、養親、自治体関係者、それぞれの視点から、養子縁組に対する思いや経験談などをお話いただきました。
第2部『養子縁組の記録の集め方』では、家庭裁判所の調査報告書など、養親が子どもについての記録をどのように集めることができるかを養親当事者で弁護士の橘高真佐美さんにご紹介いただきました。
第3部『はじまりの連絡帳を活用しよう』は家族と共に子どもの成長を支える学校教育現場の先生方に特別養子縁組家庭の姿、そこで子どもの思いを知っていただくために、特別養子縁組家庭と学校を繋ぐコミュニケーションツール。『はじまりの連絡帳』の活用方法をご紹介していただきました。
特別養子縁組制度に関する日本財団の活動
4月4日の養子の日は、特別養子縁組家族が特別視されない社会になってほしいという思いから、2014年にスタートしました。現在、特別養子縁組について取り上げるメディアは増えてきましたが、まだまだ「当たり前」という社会にはなっておらず、今後も啓発に取り組んでまいります。
特別養子縁組を紹介するための『養子縁組をした762人の親子のこえ』という冊子や、『はじまりの連絡帳』いう冊子も作成しています。こうしたツールをぜひ当事者や養子縁組の団体それから児童相談所の方々にも活用していただきたいと思います。
※無料配布 お申し込みは下記より
養子縁組の成立はゴールではなくスタートです。成立後も様々な支援が必要ですが、日本ではまだ不足しており、制度改革に取り組んでいく必要があります。今年は児童福祉法の改正が予定されており、これから特定妊婦への支援、在宅で子育て困難を抱えている方への支援も増えていくと思います。
一方で児童養護施設入所児童等調査の概要によると、いまだに乳児院では家族との交流がない、または家族との交流が不詳という赤ちゃんが約800人もいます。この場合、まず生みの親を支援して家庭復帰を促す、それが難しければ、特別養子縁組や里親委託などで、すべての子どもが温かい愛情のある家庭で育つことが日本財団の望みです。
今回は第1部のプログラムのリポートをお届けいたします。
多様な家族のカタチを考える(第1部)
登壇者:佐々木りえ さん 養親当事者
近藤愛(あき)さん 養子当事者
福井充 さん 福岡市こども家庭課 こども福祉係長
司 会:新田歌奈子 日本財団 国内事業開発チーム
児童相談所における特別養子縁組の位置づけと取り組み
新田歌奈子:初めに、福岡市こども家庭課こども福祉係長の福井充さんに児童相談所における特別養子縁組の位置づけや取り組みについてご説明していただきます。
福井充:本日はよろしくお願いいたします。一緒に生きていく家族を保障していくことは、児童相談所の大きなミッションの一つで、その方法には多様な形があります。
「お前らのせいで俺は一匹狼」
これは十数年前、生活保護のケースワーカーだった私に、20代の青年から投げかけられた言葉です。私をじっと見てこの言葉を放った後、ご自分の生い立ちについて語ってくれました。彼の母親が会いにきた記憶は一度きり。高校まで児童養護施設で育ち、その後連絡がつく家族もいないまま自立を迎えました。退所後は仕事も家も転々としながらの生活。誰にぶつけようもない怒りが、“お前らのせいで”という言葉になって私に向けられていると感じました。
彼のお話をお聞きして、私は当時の支援のあり方に疑問を持ちました。例えば、母親を支援して親子が一緒に暮らす、母親と交流を続ける、彼を育てられる親族を探す、養子縁組などを検討する、ということはできなかったのかと。
彼のように家族と面会や手紙などの交流がないまま施設や里親家庭で過ごす子どもは、直近の統計で約1万1000人います。また、施設や里親家庭にいる子どもの約6割が自立まで現在の場所で過ごす見通しです。こうした状況に陥る背景として、福岡市の場合は、保護者の経済的な困窮、精神的な不調などの要因によって、養育困難やネグレクトに至っている事例が多くあります。児童相談所で保護した後、親子の交流が徐々に途絶えていく傾向もみられます。子どもたちは「ずっと一緒に生きていく」と思えるような家族がいないまま成長していくことになります。
共に生きていくと感じられる心理的な親がいる養育環境は「パーマネンシー」と呼ばれており、子どもの成長には欠かせない環境です。パーマネンシーに必要な要素は「家族が続いていく」と意図されていて、家族が子どもの気持ちやニーズに丁寧にコミットしているということ。そして家族と共通の未来が来ると感じられていて、家族との法的な関係が築かれたことで家族への所属感を感じられている、などです。
人はパーマネンシーによって情緒的に強く結びつき、「明日突然この家族と離ればなれになることはない、将来も自分の隣に今の家族がいる」という未来を見通すことができます。それが安定したアタッチメントの形成、所属感に基づくアイデンティティの獲得、生涯にわたるウェルビーイングに繋がっていくと考えられています。2016年に日本財団が行った調査では、養子縁組家庭ではこの3つの要素が比較的高いことが伺える結果が出ています。
児童相談所が子どもにパーマネンシーを保障する方法は、養子縁組を含めて多様な形があります。親子が分離しないように、離ればなれになった理由の解消、そして親子の交流をサポートして、再び実の親子がずっと一緒に生きていけるようにする。また親族や知人が里親になって、普通養子縁組するようなサポートをしていく。それらが難しい場合には、特別養子縁組という新しい家族の形成を支援することなどが考えられます。
2016年の改正児童福祉法で「家庭養育優先原則」が記されました。法律上は養子縁組と親族養育そして里親養育の区別をしていません。ただ「より家庭に近い」と考えると、家庭環境であるということだけでなく、パーマネンシーが保障される要素が重要です。福岡市の実践では家族を一定期間支援しても交流や家庭復帰が難しい場合には、親族による養育、あるいは養子縁組への移行を支援しています。
乳幼児については、里親養育を続けていただく場合には、実の家族とのつながりや交流が再開する見込みがあるということ、あるいは里親自身が養子縁組を結んで家族になる意向がある、ということなどを確認しています。
2020年度から養子の上限年齢の引き上げによって、児童相談所が対象としている比較的高い年齢の子どもたちに養子縁組の道が開かれました。このことで、家庭復帰や親族養育が難しいと判断してから養子縁組に移行する、あるいは重度の虐待などで家族と離れる決断をした小学生以上の子どもたちにパーマネンシーを保障する手段として、養子縁組が加わりました。
さらに、子どもにとって特別養子縁組が適切な状態かどうかを判断する審判・手続きを児童相談所長が申し立てられるようなり、親の行方不明などで同意が得られないケースでも早めに手続きを進め、安定した状態で養親候補者に託すことが可能になりました。
しかし、養子縁組の成立件数はまだ少なく、全体の成立件数(693件)の5分の3ほどが児童相談所経由。児相は全国220ヶ所あるので、1ヶ所当たり約2件未満になります。児相が民間あっせん団体に積極的につないでいる地域もあるので一概にはいえませんが、全体的な成立件数としてはまだまだ低い状況です。
2021年度、福岡市の児相経由で14件の特別養子縁組が成立しました。家族との繋がりがないまま長期養育が続くことを防ぐため、家庭養育やパーマネンシーの保障を担う係を中心として、実の家族に対して家族との交流の意味や家庭復帰に向けた相談が重要であるということを明確に伝えて、家族の参加を促しています。また、養子縁組が必要な子どもを把握した場合、諦めずに候補者を探しています。
比較的年齢の高いお子さん、障害をお持ちの場合などは状況について説明し、受け入れてくださる方を探し、その結果として、実子がいらっしゃるご家庭とか、二人目の特別養子縁組をされるというケースもあります。また子どもの年齢や特性、国籍など、様々な背景がありますので、多様な候補者が必要だと感じています。
福岡市で、候補者が見つからない場合には、他の児童相談所や民間あっせん団体を当たっていますが、今後は全国的なネットワークで候補者を共有するしくみができるとよいと思っています。父母の同意が得られていない事例についても児相長の申し立てによるチャレンジを進めています。子どもの把握から縁組成立までの短期化にもつながりつつあります。
養子縁組後の支援については課題が多い状況です。里親支援専門相談員を市内の施設に配置して、養子縁組家庭のグループを支援していただいており、今後もサポートを拡大する予定ですが、個別の支援、例えば真実告知の前後に養親さんと個別に相談する、必要な情報を提供する、などの支援はまだまだ十分ではありません。また、子ども側へのカウンセリング、生い立ちの整理を一緒に行うなど個別の支援も今後の課題です。
すべての子どもたちに一緒に生きていく家族がいる、という状態を作るためには、こうした早めの把握や判断、より多くのパーマネンシーの選択肢、そのための多様な養子縁組家庭などが必要とされています。
新田:ありがとうございました。5分の3が、児童相談所経由の養子縁組ということですが、成立するまでに児童相談所と民間のあっせん事業者の違いは?
また、養親の年齢などに制約はありますか?
福井:民間団体の場合は、妊娠期から相談を受けて、その方の同意に基づいてあっせんする場合が多いです。児童相談所の場合は、妊娠中からの同意に基づいて新生児を直接委託するケースも一定数ありますが、いったん乳児院や養育里親に委託をした後に交流が途絶えてしまってから、養子縁組里親への委託の判断をして、養子縁組に移行していくことも多いです。子どもの上限年齢も上がりましたので、今後そういったケースが増えていくと思います。
養親の年齢については、国の「子どもが成人したときに概ね65歳以下」が望ましいというガイドラインがあります。取扱いは自治体によって異なると思います。児童相談所の場合は高い年齢で子どもを委託する場合もあり、例えば5歳で委託すると15年後に65歳というような目安で考えると、45歳に限らずもう少し高い年齢も可能性があると思います。
新田:児童相談所経由の場合、養親が支払う費用負担はありますか?
福井:養育に関わる費用は必要かもしれませんが、児童相談所が養親さんから費用を徴収することはありません。
不妊治療を終え、里親期間を経て養子縁組へ
新田:続いて、養子縁組家庭のお話をお聞きします。里親経験を経て、養子縁組で迎えたお子様と実子のお2人を育てていらっしゃる大阪市議会議員の佐々木りえさんより、自身の経験や養子縁組への思いについてお話いただきます。
佐々木りえ:本日はこのような機会をありがとうございます。私がまず里親になったきっかけは、不妊治療がうまくいかなかったことです。夫から「つらいのに無理しないで」と言われて一度不妊治療をやめ、そのときに里親・養子について自分で調べて東京で里親研修も受けました。その後に子どもを授かり、選挙のために大阪に移住するなど選挙などがあり大阪に移住して第一子を出産しました。
大阪でも、どうしても里親の勉強をしたいと思い、夫を説得して里親研修を受けました。夫はボートレーサーですので、土日に開催される研修がなかなか受講できず、スケジュール調整が難しかったため、1年以上の時間を要しましたが、無事に里親認定をいただきました。
ところが、里親になると意気込んで後援会の皆さんにお話ししたところ、「お子さん(実子)がかわいそう」という理由で反対されてしまいました。「愛情が半分になってしまうのでは」と心配されてしまったのです。私たちはそんなこと考えもしなかったのですが、日本人は血縁を重んじる文化なのだなと強く感じました。ご理解いただけなかったのはつらかったですが、私たち夫婦は決意していたので、このまま貫き通すことにしました。最初の心配をよそに、実際に養子を迎えてからは後援会の皆さんも私の味方になってくだり、本当にうれしく思っております。
実子と養子との関係性については、行政からも「同じ年代のお子様がいらっしゃるのは若干心配です」とは言われていました。でも、里子として暮らしていた頃から、お互いをいたわりあって、切磋琢磨して成長していく姿を見せてくれました。子ども同士だけでなく、習い事の先生も学校の先生も、皆さんが支えてくれて、里子をとりまくネットワークができていきました。
里子の頃は誰にでも抱っこをせがんでいましたが、そうした姿も徐々に落ち着いてきて、私たちがパパとママだと理解するようになりました。たくさんの愛情のシャワーをかけることによって、変わってくるのだと実感しました。
生みのお母さんのご体調が回復し、一度は家庭復帰しました。しかし再びお母さまのご体調が悪くなり、週に1回ほどお手伝いするようになり、その後「やはり体調が回復しない」とのことで、我が家で暮らすことになりました。1年半ブランクがあったとは思えないほど、すんなり我が家になじみました。
その時は再び里親として迎え入れるつもりでしたが、夫から「土日は仕事で家を空けることが多く、頻繁に会えない時期もある。実子と分け隔てなく父親としての自覚を強く保つ意味でも、わが子として養子縁組をしたい」との申し出があり、お母様にも相談したところ「お願いしたい」ということになりました。養子縁組として家庭裁判所で受け入れていただけるか不安でしたが、私たちもお母様もありのままをお伝えして、認めていただき、現在の家族になっています。
新田:日本では数少ないケースかと思いますが、多様な家族のカタチがあるということを教えていただきました。続いて、養子として育った近藤愛(あき)さんにお話をいただきます。
実子が4人の家庭に0歳から引き取られる
近藤:本日はそちらに伺いたかったのですが、オンラインで参加させていただきます。私は生後6ヶ月で近藤家に引き取られました。
私が自分の生い立ちを知ったのは、小学校に上がる1年前、5歳の時でした。当時その地域は就学前の1年は幼稚園に通うと決まっていまして、私が最初に県からいただいた名前で配布されてしまったのです。私の家はカトリックなので、「近藤家に来たのは神様の思し召しなのだよ」というように伝えてもらいました。
告知を受けた子どもの反応は十人十色だと思いますが、私の場合は、告知を受けた次の日から、カラフルな絵が真っ黒になりました。とてもよく笑う子だったのが、急に笑顔が消えてしまったと当時の担任の先生から聞いています。実際に描く絵も、以前は赤や黄色やオレンジなど暖色系の色が好きだったのに、真っ黒になりました。アルバムの写真も途中まで笑顔いっぱい、ある日を境に曇った表情になりました。事情をはっきりと理解したわけではありませんが、衝撃を受けたことは憶えています。
私への真実告知は1回きりではなく、思春期のとき、大学進学後に自分の生い立ちを整理するという機会があり、4回ほどあったかと思います。その年代に応じた話をしてくれました。私は乳児院の前に置かれたベビーカーの中にタオルで包まれていたそうです。往診の先生が通りかかって私を見つけてくれました。
詳しいことを聞いたのは中学生のときです。私自身も正直、整理がつかなかった。ただでさえ中学生なりの葛藤を抱えるなかで、生みの親に合いたい気持ち、育ての親への反発など、さらにグチャグチャの気持ちになりました。部活や勉強もあるので、そのことだけを考えているわけではありませんが、いろんな友達と話したりすることで整理していけた気がします。大学に入ってからは、里親支援を研究テーマにして、その中でさまざまな話を聞いて、さらに自分の中を整理していきました。
私の母は、もともとベトナム難民の子どもを預かるという活動から始めて、季節里親をしていました。そろそろ年齢的に里親はできない、という時期に私のことが載っていたニュースを見つけて、「これ最後のミッションだから」と家族に相談したそうです。実子は4人、兄3人、姉1人です。母は体調が思わしくない状況で私を引き取ると言い出したので、周囲は猛反対だったとのこと。しかし、最後は母が押し切ったそうです。とはいえ、あれだけ猛反対していたのに、赤ちゃんが来た途端にみんな歓迎してくれたそうです。「メロメロになっていたよ」と言っていました。本当に赤ちゃんの力ってすごいなと思います。こうした話は私が大学に入ってから聞きました。
私が新聞に掲載されていたことを母から聞いていたので、その記事を探しに行き、図書館で見つけることができました。裁判所関係の書類もあるということを知って、母に尋ねたら、私の目には触れないようにしていたらしく、それは本当に私を守ろうという一心でそうしてくれていたのだなと思います。
新田:これまでに何回か生い立ちの整理をなさったり、ルーツ探しをなさったりするなかで、ご自身のお気持ちのなかで変化はございましたか。
近藤:ありましたね。社会人になってからルーツ探しもしていますが、年代によって受け止め方、考え方は変わっていくと実感しています。中学のときに生い立ちを聞いたときは本当に、口が悪いですが「クソババア」とか思っていました。
ただ、大学に入って自分が一人暮らしをするようになって、「本当に母親はすごいな」と思いました。いろんな人に会っていく中で、友達の経験に自分のことを重ねながら自整理をしていく。そして周りの方と繋がっていって整理していった感じです。
最初は、正直に言うと生みの母のことも憎んでいました。「なんで私を捨てたんだ」と。でも、追いかけきれないっていうところもあり……。大学入ってから法律のことや福祉関係のことを学んでいく中で、生みの母にも「この子を見つけてほしい」という、せめてもの愛情というか、子を守るための思いがあったのかな、と思えるようになりました。
実際、自分のお子さんを育てることができなかった女性に「自分の産んだ子の生年月日とかを覚えています」というお話をお聞きして、生みの親の中には子どもの存在が残っているのだなと思いました。今は生みの親にも感謝しています。
周囲には養子であることをどのように伝えたか
新田:ここからは皆さんとのクロストークに入ります。最初のテーマは告知についてです。周囲への告知をどのようになさったか、なさっているか。佐々木さんは“フルオープン”とのことですが、幼稚園や習い事、学校現場にはどのように伝えていますか?
佐々木:里子だった頃から習い事も変わっていません。我が家に戻ってきて「養子縁組をさせてもらいました」というと、皆さん「おかえり!」という感じで温かく受け止めてくれました。
実は娘たちが通う学校の校長先生が2人養子を迎えていらっしゃる方なのです。最初に「周囲にはお伝えしますか?」と一応は訊かれましたが、初めからすべてオープンにされた方がいいとアドバイスをいただき、私たちもそう思ってオープンにしています。他のお子さんにも「家族の形も様々な形がある」ことが判っていただけると思います。
新田:校長先生も当事者でいらっしゃるのは、心強いですね。
佐々木:そうですね。「学校が全面的にサポートしますから、お母さん気にしないで下さい」と言っていただけて、すごく心強かった。まだ養子縁組の手続き中であることを伝えたら、途中で名前が変わったら大変なので、通名での登校を許可してくれました。特に学校に対して働きかけをしたわけではありませんが、配慮してくださいました。
新田:ありがとうございます。近藤さんのお家では、学校に連絡を取って何らかの働きかけをなさったのでしょうか?
近藤:私の場合はまだ学齢簿が配られる時代だったので、本名を言わざるを得なかったというのがありました。でも、母は担任の先生が変わる度、校長先生や教頭先生が異動になる度に学校に行っていたのを覚えています。学校では「名前の由来はなんですか」とか、家族のことについての授業もありましたが、私は普通に授業を受けました。そのときに、「私は名前が二つあったのだな」と振り返りました。今の名前をつけるときに両親の思いについても話を聞きました。
養子と実子、生みの親との関係性について
新田:続いてのテーマは実子との関係性です。今回、佐々木さんも近藤さんも実子がいらっしゃる養子縁組家庭とのこと。実子と養子のお子さんがいるご家庭について大変だったことや良かったことなどお聞かせください。
佐々木:実子は生まれてからひとりっ子で過ごしてきた期間、一人遊びが上手でした。協調性はあまりないかなとは思っていましたが、妹ができたことによって、もう一人いること、姉妹で分け合うことを覚えてくれた気がします。実子にとってもすごくいいことでした。
一方、養子は里子だった頃から、ずっといい子でした。絵にかいたようないい子。もしかしたらがまんしているのかもしれないと心配していましたが、最近になって自分の気持ちを表せるようになりました。お互い主張をゆずらず、泣きながらケンカをするようになったのです。1ヶ月に1回ぐらい自分の気持ちを言い合うことができるようになってきて「本当の姉妹になってきたな」と、親としては感慨深いものがありました。
新田:里子から養子になったことでの変化はありますか?
佐々木:だんだんやんちゃな姿を見せてくれるようになってきました、お試し行動の幅が広がったというか。でもやっぱりいい子。法律上も関係性も本当の姉妹になれたという実感がわいています。
新田:近藤さんのご家庭でも実子である兄姉がいらっしゃいますが、その関係性について教えていただけないでしょうか。
近藤:一番上の兄とは17歳離れています。親子みたいな関係のときもあるのですが、同レベルでケンカするときもあります。特に姉とは大人になってから、対等に本音で何でも言い合える関係になりましたね。母がその姿を見て、先ほどの佐々木さんと同じように「本当の姉妹という関係になった」と思ったようです。親子もきょうだいも本音を言い合って、本音でぶつかれるみたいな関係が大事だと思います。
あとは、私は0歳児のときから兄たちと一緒にいますので、何の違和感もありませんが、兄たちが結婚すると新たに義理の姉もできます。考え方も人それぞれなのですが、私は母や兄たちが常に味方してくれるので守られているという安心感がありました。
新田:ありがとうございます。本当に心もオープンに本音で話せていらっしゃると感じました。
福井:佐々木さんとお子さんの養子縁組が成立してから、お父さんとお子さんの関係に変化はありましたか?
佐々木:夫と養子も、お互いに遠慮せずに言い合えるいい関係を築けてきたと思います。養子にこだわったのは、実子と同じ権利を持たせることができるからです。夫の仕事が事故のリスクを抱えていますし、積み立ての貯金、パスポートの申請など印鑑が異なると手続きが難しくなります。もちろん、実親さんには許可を得てからおこなっています。
新田:生みのお母様との関係については、佐々木さんは交流がおありですが、どういうようなつながりなのでしょうか。
佐々木:養子がお母様と電話で話したいと思ったときは、いつでも話せるようにしています。家に泊まるのはある程度のけじめがあった方がよいと思うので、お母様からも提案があり「夏休みなどの長期のお休みのときに2~3泊する」と話し合っています。また、お母様には子どもの成長がわかる写真データをアルバムにしてその都度ご送付しています。
新田:生みの親との交流を持つ養子縁組を海外ではオープネスと呼ぶそうですが、日本ではまだ珍しいと思います。
福井:生みの親と交流を持つオープンアダプションはこれから大事になってくると思います。生みの親との関係がある子どもでも養子縁組が適切な場合、両方の親との関係を維持することも大事になってきます。佐々木さんのご家庭は、りえさんご自身がソーシャルワーカーのような役割もなさっていますが、生みのお母さんとの交流や調整について児童相談所は介在しない状態ですか?
佐々木:行政からは実子もいますので、もう少し待った方がよいのではないかとご助言いただきました。でも「わが子としてしっかり責任を持ちたいです」というお話をしましたら、最後は任せてくださるという判断になりました。
思春期の試練を親子で乗り越えるために
新田:続いては、思春期にどう備えるかというテーマについて、近藤さんにご経験をお伺いしたいと思います。
近藤:部活は吹奏楽部で、とても忙しく勉強がおぼつかなかったので母と衝突していたのですが。5歳のときに受けた真実告知は、母も突然だったので「あなたの両親は亡くなっている」と聞かされていたのです。
そして「実は生きている」ということを思春期に告白され、私は大混乱です。「ならば、会えるという確率があることだね」という話になり、とっさに出たのは「生みの親に会いたい」でした。
これは“里子あるある”ですが、「産んでもいないくせに」とか、「何も知らんくせに」などの言葉は出ましたね。ただ、私の場合は産みの親は亡くなったと聞かされていて、生きているという事実を知らされたので、反発が強く出ました。「真実告知に嘘を言ってはいけない」というところにつながると思います。中学生時代は、見た目はグレたりしていない、表向きは普通だったと思いますが、非常に荒んだ心持ちで過ごしました。
でも、私の場合は高校生になってから変化がありました。高校で出会った友人たちとはいろんな話ができたのです。養子縁組家庭同士ではありませんが、母子家庭、父子家庭、親子関係がしんどいとか、それぞれ家庭の事情を抱えている友人たちと、お弁当を食べながら、「実は私の家はこうなの」というような話をしました。重いランチタイムにはなりましたが、そうやってお互いにいろんなことを話すなかで、「でも愛は愛でしょう」と言ってくれたことが、心にストンと落ちた。自分の芯ができた気がしました。そんな言葉をかけてくれた友人に救われたと思います。当時の友人たちとは、今でもLINEなどでつながっていますし、「あんなことあったよね、あんな話をしたよね」と語り合っています。
あと、私の場合はペットの存在に助けられました。3歳の頃から高校2年生までずっと一緒にすごしていた犬がいて、その犬に語り掛けたり、ずっと黙ってなでたり。犬の存在がセラピーになっていたのかもしれません。こうして、思春期をなんとか乗り越えたかなと思います。
そしてやはり、母の存在はとても大きかったです。いくら私が突き放しても離してくれません。二人三脚の紐がつながっていて、ほどこうとしてもほどけない。「ずっとあなたのことを大切にしているよ」という思いを受け止めています。当時はそう思えなかったけれど、落ち着いてから振り返ると、「すごく愛されていた」と、強く思います。
新田:ありがとうございます。養子縁組成立後の親子のサポートについて、福井さんにお話しいただけないでしょうか。
福井:児童相談所のサポートはまだ十分ではありません。思春期のサポートをしていくとなると、養子縁組が成立してからしばらく経っていますので、そこまでのプロセスに寄り添っていない状態でいきなり相談に乗るというのは、相談する側にとっても難しいと思います。ですから、養子縁組が成立した後も、真実告知をどういうプロセスでどういう伝え方をしていくのか、受け止める側の子どものサポートやカウンセリングなどもできるように、つながっていくことが大切だと思います
また、最初に得た情報のみでの告知ではなく、民間あっせん団体の中には実親とつながり続けてサポートをしているところもあり、将来子どもが生みの親と再会したい場合や生みの親の情報を知りたい場合もサポートできるので、児童相談所があっせんした事例でも何らかの継続支援ができたらいいと思います。それを児童相談所がやるのがいいのか、他の機関の方がよいかは、当事者のご意見もお聞きをしながら決めた方がよいと思います。
当事者から見る養子縁組制度の課題
新田:まだまだ養子縁組組制度について課題はたくさんあると思いますが、当事者から見てはいかがでしょうか。
佐々木:養子縁組という選択肢まで行きつく方はまだまだ少ないと思います。不妊治療という道だけでなく、養子の選択肢もあり、里親の選択肢もあります。LGBTの方たちがお子さんを持たれることもあります。そういうことを教育の中でも教えていくことが大切だと思います。養子縁組という選択も普通であるという世の中にしていかないといけないと思っています。
近藤:福井さんのおっしゃる通り、思春期に急に相談に来られるとなかなか厳しいと思うので、小学生くらいの頃から、コンスタントに当事者クループに顔を出すなどしていただくとよいと思います。
思春期は育ての親御さんもしんどい時期だと思います。一般的な血縁関係のある親子であってもかなりしんどいとお聞きします。子どもの発作的な言葉をどう受け止めていくか。親御さんだけで抱えずに、先輩里親やカウンセラーの先生など、いろいろな方に助言をいただくことが大切です。
子どもの暴言は、小さい頃の試し行動の延長だと思います。それをちゃんと受け止めてくれるかどうかで、子どもの反応は変わってきます。「これだけ付け放しても、あんたは私をちゃんと見てくれるのか」というメッセージなのです。それを受け止め続けていただけたら、おそらく子どもはまた心を開いていく。もう1回、素直な自分を出してくれると思います。
あと、最初の試し行動と思春期の試し行動は、育ってきた環境があっての思春期の試し行動になると思うので、表現の仕方が違ってくると思います。親御さんの最後の試練かもしれない、と私は思います。
子どもは自分の友人や部活の人間関係などを通して成長して、答えを求めてひたすら進むと思います。その子どもを一番近くで支える親御さんを行政の方、NPOの方々に支えていただきたい。一番そばにいる親御さんが最後の砦なのです。
また子どもたちにサポートしてくれるところも必要です。学校のスクールカウンセラーでも行政のソーシャルワーカーでもいいので、子どもたちがSOSを出せるようにしてほしいと思います。
佐々木:とても勉強になります。幼少期の試し行動を乗り越えたと思ったら、思春期にもう一度試し行動がまた来る、2回は覚悟が必要なのですね。
一人でも多くの方に養子縁組家庭への理解を
新田:最後にご視聴していただいている皆さんへ、一言メッセージをお願いします。
佐々木:まだまだ日本は養子縁組など理解していただくのは難しいと思っています。子どもは自分の親が働く姿を見て成長することが大事です。これからもまた1人でも2人でも幸せにできるように頑張っていきますので、引き続きよろしくお願いします。
近藤:成長した当事者として、このように発信できるのはとてもありがたいことです。私の経験は養子当事者の一例ですので、親御さんはそれぞれのお子さんに向き合って答えを出していただければと思います。養子縁組家庭の存在が、普通になっていっていただけたらいいなと思います。当事者が「自分は養子なんだ」と教えてくれたとき、「そうなんだね」と、普通に受け止めてくれるそんな時代になってくれたらと思います。
福井:潜在的に養子縁組が必要な子どもたちを縁組につないでいくことが私たち行政側の責任です。社会の認知度が高まり、関心を持ってくださる方が増えたとしても、そこをしっかりつないでいかないと、せっかくのお気持ちを活かせないと思っています。縁組後にどんな支援が必要かということも考えていきたい。多様な家庭が必要とされていますので、今後もぜひ関心を持ち続けていただけるとありがたいです。
新田:みなさんありがとうございました。本日はさまざまな家族の形があるということで当事者の方々に貴重なお話をいただきました。これからも特別養子縁組について普及啓発を日本財団として行ってまいります。ありがとうございました。
私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。
すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。