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#養子の日2021 オンライン「それぞれの経験者が語る”特別養子縁組”」レポート公開
日本財団が『4月4日よ~し(養子)の日』に毎年開催している家庭養護の啓発イベントが、2021年は4月の4日にオンラインで開催されました。特別養子縁組で授かった女の子を育てる久保田智子さん(TBS報道局所属)や養子当事者、養親かつ里親もされている当事者、自治体関係者にも登壇いただき、それぞれの特別養子縁組の経験談をお話いただき当日の様子を振り返ります。
出演:久保田 智子さん(養親)
河野 洋子さん(大分県 福祉保健部 子ども家庭支援課長)
竹野 ゆり香さん(養子)
石井 敦さん(養親、養育里親)
司会:高橋恵里子(日本財団 公益事業部 国内事業開発チーム チームリーダー)
主催:日本財団 子どもたちを家庭にプロジェクト
※肩書は当時のもの
高橋:初めに本日の主催である日本財団のプロジェクトを紹介させていただきます。私たちは2013年より『ハッピーゆりかごプロジェクト』の名称で特別養子縁組の普及啓発事業を開始しました。その後、里親制度や親子支援など活動の幅が広がり、2020年に『子どもたちに家庭をプロジェクト』という名称に変更いたしました。
日本には何らかの理由で生みの親と暮らすことができず、社会的養護を必要とする子どもが約45,000人います。このうち約8割の子どもは乳児院や児童養護施設などの施設で暮らしています。本日オンライン参加の皆さまの中に、不妊治療を経て特別養子縁組をご検討中の方がいらっしゃいましたら、日本にはこうした子どもたちがいるということをどうぞ知っておいてください。
『子どもたちに家庭をプロジェクト』は、日本の子どもたちができるだけ安全で安心な温かい家庭で育つことを目指して、特別養子縁組、里親制度、課題を抱える親子支援、妊娠SOS相談窓口への支援などを行っています。
特別養子縁組に関しては、4月4日を「よーし」と読んで養子の日と定め、2014年から形を変えて啓発イベントを継続しています。ホームページでは当事者によるインタビュー、動画、アンケートや調査研究などの報告書等を掲載。啓発の冊子として、2019年には『養子縁組をした760人の親子の声』、今年は『はじまりの連絡帳』という学校関係者向けの冊子を作成しました。
※無料配布 お申し込みは下記より
2021年からは大分県や山梨県と特別養子縁組や里親推進する共同プロジェクトも開始。また里親啓発のためのフォスタリングマークプロジェクト、予期しない妊娠に悩む女性の相談窓口の支援などもしています。
それではトークに入ります。初めに特別養子縁組でお子さんを迎えられたTBS報道局ご勤務の久保田智子さんより、ご自身の経験をお話しいただきます。
高校時代の授業で養子縁組制度を知る
久保田:私は2019年に産院から退院したばかり女の子を家族に迎え入れました。現在は2歳、元気に部屋の中を跳び回っています。子育ては発見に満ちていて、「こんな日々を過ごせるなんて」と、幸せを感じています。
子育ての楽しさも苦労も、一般のご家庭と変わらないと思います。異なるのは今の私たちの家庭は特別養子縁組制度に保証される形であるということ。では具体的にどう違うのか、どのように感じるのかなど、今日はお話しできたらと思います。
私が最初に特別養子縁組のことを知ったのは高校時代、性教育の授業でした。その終わり間際に「もし子どもが授からなかったとしても、養子縁組をして育てることもできます」と教えてくれたのです。この話は心のどこかに残っていました。20年以上前の授業でこのような知識を与えてくれたことに感謝しています。
20歳を過ぎて、不妊症が判明しました。私は普通に子どもを生み育てて、いずれは孫ができておばあちゃんとして暮らしていくのが当たり前だと思っていた。でもその当たり前は崩れました。これからの人生をどう生きていくのか考え始めました。
20代後半になり、職場のテレビ局で特別養子縁組の特集が組まれました。担当ディレクターから「お顔を出して話してくださるのは珍しいから特集にした」と聞いたとき「オープンにしないほうがよいことなの?」と疑問を持ちました。私にとっての特別養子縁組は、これから進みたい道かもしれない。それなのに隠さなくてはならないのは腑に落ちませんでした。
その後、縁あって結婚し、夫の理解も得ることができまして、特別養子縁組で長女を迎えることになりました。初めて抱っこしたときの写真がありますが、ほんとうにうれしかった。出産後に赤ちゃんを抱きかかえて幸せなお気持ちの方と同じく、私も幸せな気持ちでした。
ただ、その幸福感のなかに「私の赤ちゃん」という意識を持つのは少し時間がかかりました。とても幸せなのに「ちゃんと母親になれるのかな」という不安も同時にあったのです。現在、特別養子縁組を検討している方のなかにも「血がつながってなくても愛せるのかな」というご不安はあると思います。
でも、心配しないでください、愛せます。それは時間の問題なのです。妊娠期間を経て出会う場合と、そうした期間がなく初めて対面するのとでは、距離感は異なるもの。迎えたその日から毎日おむつ変えたり、ミルクあげたり、ずっと一緒の時間を過ごすことで、親子になっていく。今は本当に幸せで、母親であるという自信をもって子育てしています。
2020年の12月にニューズウィーク誌に記事が掲載される形で公表しました。親しい人たちから「あまり良くない反応もあるのでは」と心配されましたが、実際には多くの方が応援してくれました。多様性を大事に包摂していこうという方向に社会が変化するなか、特別養子縁組についても家族の形の一つとして受け入れる基盤ができてきたのでは、と感じています。
みんな違う人から生まれた6人家族
高橋:続きまして石井敦さんお願いします。埼玉の里親会で、養子、実子、里子の4人のお子さんを育てているベテランのお父さんです。
石井:初めに私たち6人家族の紹介をいたします。26歳の長男は特別養子として1歳半に迎えました。今は大学を卒業してスポーツ施設運営会社に勤務しています。次男はその後に思いがけず授かりました。長男が運んできた命だと思い、長男の名前から一文字もらって命名しました。この春からスポーツ系の大学院に進学。成長とともに、里親制度や特別養子縁組制度への理解が進んできたように思います。
三男も特別養子で3歳の時に出会いました。偶然にも長男と誕生日が同じで、同じ乳児院、同じ保育士さんに育てていただいた子です。小さいころは感情表現が苦手でしたが、水泳を始めて体格もよくなり、中学高校ではサッカーに明け暮れていました。祖父の入浴介助もしてくれた優しい子で「人の命を助ける仕事がしたい」という目標ができて、医療系の専門学校に進学しました。4番目は6歳になる前から養育を始めた中学生の里子です。兄たちの影響もあり、今はサッカーに熱中。彼も小学校の頃から祖父の介助をしてくれていた優しい子です。
子育てに関しては、妻に教えられるばかりです。妻が大切にしているのは「大人が押しつけない、自分で選択する習慣をつける」こと。私はつい「そろそろ起きろ」とか「朝ごはんだよ」と言ってしまうのですが、妻によると「まず脳を起こす」が大切だそう。例えば、「大好きな○○ちゃん、朝ごはんパンにするご飯にする?」と訊きます。そして「目玉焼きかな?ゆで卵かな?」と子どもに訊いていきます。私たちは「6人それぞれ違う人から生まれたね」なんていつも家族で話しています。
私がなぜ里親になったのか。それは交際していた妻にプロポーズした時のことです。「私は生みの親と暮らせない子どもを里親として育てたい」と言われました。妻は雪深い会津地方の出身で、両親や祖父母、親戚や地域の人々にとてもかわいがられて育ちました。そんな中、親戚の子が親の離婚でそれまでの家族と暮らせなくなって落ち込んでいる姿がずっと心に引っかかっていたそうです。その後、大学の卒業旅行先のドイツで里親家庭に出会い、子ども達がとても明るく育っている姿に感銘を受け、自分も将来里親になりたいと思ったことを話してくれました。
突然に「里親」と聞いて驚きましたが、ふと小学生の頃のヒーローだったタイガーマスクが思い浮かびました。それから、中学の時に児童養護施設から通う同級生が時折見せていた寂しそうな表情も。そして、自分たちにいつか子どもが生まれて、その後に余裕ができたら里親になりたいと思いました。
1984年に結婚しましたが、なかなか子どもに恵まれず、妻は退職をして不妊治療を始めました。しかし、体調を崩して治療は中断。そして、妻からの提案を受ける決心をして、1995年の10月に埼玉県で里親登録をしました。
登録して1年後の1996年の秋、児童相談所から1歳半の男の子を特別養子縁組前提で預かってほしいと依頼を受けました。里親になったものの、特別養子縁組のことは詳しくなく、実の親の籍から離れて実子扱いになることなどを初めて知りました。この子の親として私たちがふさわしいのか、担当者から受け取った写真を前に二人で話し合いました。私たちは里親として養育した後、社会へ送り出すことを考えていましたが、子どものための特別養子縁組制度という主旨を理解して、決意いたしました。
数回の面会を重ねて、いよいよ自宅での生活。長男は生後一週間から生活していた乳児院の広い空間、大人数での生活環境から、昼間は母と子の二人生活へと一変したせいか、いったん泣き出すと止まらないなど、苦労があったと聞いています。
ご近所や職場には予めお知らせしました。お向かいのおばあちゃんが「みんなで育てましょう!」と明るく声をかけてくれ、時々お孫さんと一緒に公園に連れ出してサポートしてくれました。義父もとても喜んで、親戚や親しい方々とお祝いの会も開いてくれました。長男は「おじいちゃんに愛されたことは心のよりどころの一つだ」と言っています。その後も妻の奮闘と子どもたちの協力のおかげで、一時保護や短期委託も含めて8人のお子さんをお預かりしてきました。
真実を告げられず一人でルーツ探しへ
高橋: 続きまして養子当事者である竹野ゆり香様より、ご自身の経験についてお話いただきたいと思います。
竹野:当事者と言いましても同じ立場でも環境も違いますし、それぞれのストーリーがあると思います。私が経験したこと、感じたことしかお話しできませんが、どうぞよろしくお願いします。
私は普通養子縁組で血のつながらない両親に育ててもらい、結婚してからは血のつながりのある子どもを育ててきました。両方を経験して思うことは「血のつながりのあるなしは家族にとって重要なことではなかった」ということです。それより、毎日一緒にご飯を食べて一緒にお風呂に入って寝て、笑ったり泣いたり、時にはケンカもしたり、そんな何気ない日常が家族にとってとても大事なものだと思います。
私は真実告知を受けずに成長しましたが、中学の頃から強く疑問を持ち、高校生になって自分ひとりでルーツ探しをしました。後に私がそうした行動に出たことを知った両親は「どうしても言えなかった」と泣いていました。両親の気持ちも今ならよくわかります。しかし、当時は私自身がまだ子どもでしたので、「どうして私のことなのに私が事実を知らないのに、両親以外の人が事実を知っているのはなぜだろう」と、私の運命を勝手にカジ取りされたような複雑な思いになりました。
いずれは伝えようと思っていても、月日が経つとそれが重大な秘密になってしまいます。お子さんが幼い頃から話していく方が、ご両親の負担も軽いと思いますし、お子さんも疑問に思ったことを質問しやすいと思います。私の場合は「こんな質問をすると両親が悲しむかも、心配させてしまうかも」と、なかなか聞けませんでした。
一人でルーツ探しをしましたが、さまざまな事実を自分一人で受け止めることになりました。覚悟はしていましたが、苦しかった。相談する人がいないことが心細く、孤独を感じた時期がありました。それでも少しずつ自分のことを打ち明けられる、信頼できるお友達ができて、心の支えになりました。
養親さんも心配事があればご夫婦だけで抱え込まずに、信頼できる人に相談することで、心が軽くなると思います。同じ養親さんはもちろん、特別養子縁組や児童福祉の専門職の方はたくさんのご家族をご存じなので、いいアドバイスをくださると思います。一般家庭のママ友やパパ友に相談するのもよいと思います。子育ての悩みの中には、血のつながりの有無とは関係ないことにも気づくと思います。
プロポーズのときに「里親になりたい」
高橋:最後に大分県の福祉保健部子ども家庭支援課長の河野洋子さんに自治体における特別養子縁組について紹介していただきます。
河野:特別養子縁組のあっせんは、民間あっせん団体が行う場合と児童相談所が行う場合があります。児童相談所の場合は、里親制度という公的制度を利用する形になります。基本的には養子縁組里親として自治体の研修を受け、登録をします。年齢要件や研修などは自治体によって異なりますので、養子縁組を希望する方はお住まいの自治体の児童相談所を訪ねてご説明を受けてください。
公的機関である児童相談所が行い、里親制度の中で養育する期間は養育費の補助があり、乳児は1カ月6万円程。お子さんを迎えてすぐの大変な時期に手当が出るのは大きいと思います。併せてお子さんの健康保険についても負担金や医療機関の一部負担もなく、安心して養育に専念できます。
また、児童相談所の育児フォローアップもあります。子育て相談や真実告知のための研修、養親の担当をしている職員から、具体的なアドバイスを受けることができます。また、母子保健と連携する形で児童相談所が生みの親の情報、例えばアレルギーの有無などを養親さんに適時適切にお伝えすることもできます。
課題は自治体によって取り組みが異なることです。特に新生児委託を産院から直接行わず、いったん乳児院等に預けて養親を希望する里親さんに委託するという、少し遠回りの自治体も少なくありません。
大分県では平成22年から令和元年度までの10年間に児童相談所が斡旋した養子縁組が56名、自治体の規模の割に件数は多めです。最大の特徴は産院から直接委託。予期しない妊娠をした方に出産前からのご相談に対応し、出産後にやはり育てられないという意思確認後、速やかに確実に養子縁組を前提した里親委託をします。
養親側がすぐに赤ちゃんを迎える手続きができない場合は、いったん新生児担当の養育里親に委託をして、その里親さんから育児を学びながら、養親さんが安心してお子さんを育てられるような取り組みも好評です。
また、医療機関との連携の仕組みもあります。産婦人科医療機関が特別養子縁組に積極的に関与してくださり、里親委託を利用した良質な特別養子縁組が成立しています。不妊治療を続けている方向けに、不妊治療の医療機関でも児童相談所の職員が出向いて、特別養子縁組のガイダンスを行っております。
このように、法改正の中で自治体が積極的に特別養子縁組に関わる動きがあります。他の自治体でも新たな取り組みが出てくるのはないかと期待しています。
真実告知ができなくて悩んでいる方へ
高橋:養育里親にいったんお預けして特別養子縁組家庭につなげる取り組みは素晴らしですね。ではここから皆さんとのトークセッションに入ります。最初のテーマは「真実告知とルーツ探し」。事前のアンケートに「まだ真実告知ができていなくてどうしたらいいか悩んでいる」とのご質問がありました。石井さん、真実告知はどのようになさったのか、お子さんはどのように受け止められたのか教えてください。
石井:長男を迎えたのは特別養子縁組制度ができてから10年近く経ち、「きちんと事実を伝えていこう」という気運が出てきた頃でした。里親である私たちはこれまで多くのお子さんをお預かりしましたが、どの子にも「あなたに会えてよかった」という私たちの本当の気持ちを常に伝えるようにしています。
妻は長男に少しずつヒントを聞かせていたようです。「お母さんの宝物は二つあるのよ。一つはお父さんに出会えたことと、もう一つはあなたに出会えたこと」という話をして徐々に準備を重ねていったと聞いています。そのうちに次男が生まれ、宝物は三つになりましたが。
長男が4歳になる時に一週間ほど不機嫌になったと思ったら、「僕が赤ちゃんだった時のおもちゃが一つもない」と顔を真っ赤にして怒り出しました。妻が「あなたが赤ちゃんだった頃のおもちゃはないのよ。だけどお母さんの宝物の話、覚えているかな」と言うと、長男は小さく頷きました。そして、次男と私と3人で楽しくお風呂に入りました。
真実告知の際に子どもに与える衝撃の緩和剤となるは、普段のコミュニケーションの積み重ねだと思います。長男は高校生になり、自ら友人たちにカミングアウトしました。友人から「お前はお前だよ」と言ってくれたと、安心して喜んでいました。また、長男はスポーツでケガをして病院に行くたびに遺伝や体質のことを訊かれるので「両親と血縁がないことを子どもにきちんと話しておく必要性」を訴えています。
高橋:「地域には知らせましたか? 幼稚園や学校には知らせましたか?」というご質問が来ています。
石井:子どもは幼稚園、学校そして地域の中で成長するものです、血縁のことを意識するあまり、公園デビューや保護者の付き合いに引っ込み思案になったり、隠したりしないで欲しい。地域の方と一緒に子ども達を見守り、応援する活動に積極的に参加をして、結果としてそのことが育てている子どもを守ることにつながる、という意識を持っていただけたらと思います。
最初に隠してしまうことが後で大きな秘密になってしまいます。ご近所の方、職場や幼稚園、学校関係に対して、少しずつでもいいのでオープンにしていくことで、理解をしてくれる人、応援してくれる人、仲間を増やしていくことがとても大事です。
生まれてきたことを肯定的に伝える
高橋:竹野さんは真実告知を受けず、ご自身でルーツ探しをされましたが、どのように辿っていかれたのですか?
竹野:成長につれて体つきが親とは違ってきたり、お友達との何気ない会話の中で「どちらにも似ていないよね」と言われたりしたことが始まりだった気がします。思春期になると両親との意思疎通が難しくなり、自分を見つめるうちにどんどん疑念が膨らんでくる、という感じでした。それとなく訊いてみたこともありますが、一貫して隠されたので、質問しても無駄だと思い、高校生になったら自分で調べる作戦を練っていました。
そして、高校生になって役所で住民票を見たときには「やっぱり…」と思いました。その時の帰り道のことは鮮明に覚えています。このまま家に帰っていいのかな、両親が作ってくれるご飯を食べていいのかな、両親のお金で高校にいっていいのかな、という思いが頭をめぐりました。両親には黙ったまま平静を装って通学しましたが、気持ちは乱れて勉強も手につきませんでした。
高橋:お一人でのルーツを探しは心細かったと思います。これからは支援が必要な部分だと思います。生みの親御さんにはお会いになったのでしょうか。
竹野:その時の私はすごいパワーだったと思います。高校卒業後、戸籍をたどって県外の役所に出向き、生みの母親の住所を知りました。「両親に嘘をついて出てきたので、いま会わないと二度と会えない」と思い、その住所を訪ねたのです。家の前でずっと立って待っていると、それらしき若い女性が帰ってきました。母親にしては若いなと思ったら、なんと年の離れた姉でした。姉がいることも知らなかったので衝撃でした。
私が名乗ると驚きながらも歓迎してくれて、その日のうちに母と母方の祖父母にも会うことになり、いろんな話を聞いて受け止めるのに精いっぱいでした。帰りは新幹線のホームまで母と姉が見送ってくれました。別れ際まで普通にしていましたが、発車して一人になると、堰を切ったように涙がこぼれ、ずっと泣きながら帰りました。
真実告知については、事実は事実としてお話しすべきとは思いますが、お子さんが何をどこまで聞きたいのか、誰からどの場所で聞きたいのか、もしかしたら今のご両親の前で聞きたくないかもしれないです。素直な感情を出せなくなるとか、両親が悲しむ顔を見たくないからという理由で。ですから「どこまで知りたい?」ということをお子さんに聞いてみてから、肯定的にお話しされるといいと思います。
そして、ネガティブな事実があっても、「あなたを育てられなかった」という真実告知ではなく、「あなたには今のご両親と産みのご両親はあなたの健やかな成長を願っている」「応援してくれる人がたくさんいるから、幸せになるためにいろんなことを経験して楽しく生きていこうね。あなたの居場所はここだよ」と。ありのままのあなたでいいということを日々態度や言葉で伝えていただくことが大事だと思います。
生活を共にしている養親とは仲たがいしても仲直りして、関係も深まってくると思います。しかし、生みの親の情報は非常に少なく、その限られた情報がネガティブなものだけだと、子どもはとても負担です。自分の欠点だと思う部分と重ねて悩むこともあります。「生みの親御さんの人生とあなたの人生は別、あなたはあなたらしく夢や希望を持って生きていけばいい」と伝えてあげると、何かの時に思い出して心の負担が軽くなるのではないかと思います。
石井:ルーツ探しは生まれてきたことを本人が肯定的に捉えるために私たちがしてあげられることだと改めて思いました。うちの子どもたちの思いも、生みの親に会いたい、特に会いたくない、などそれぞれ異なります。
長男は蛙が大の苦手で、「蛙じゃなくて人間として生まれてきただけでラッキー」なんて言うのです。笑い話ではありますが、こんな風に生まれてきたことを肯定的に捉えていけることが大事で、そのためにしてあげることが真実告知だと思います。
一度にすべてを伝えなくてもいい
高橋:河野さん、これまでの養子縁組ご家族との関わりから何かアドバイスいただけますか?
河野:真実告知は、一度にすべてを伝えるのではなく、そのときのお子さんが必要としている情報を伝える。そして「またいつでも聞いていいよ」「あなたが生みの親御さんに会いたいときは私たちも協力するよ」と。そのように伝えられた子は、ふとした時に「聞いていい?」と言うそうです。「隠すものではなくて、大切なあなたのことだから、話題にしていいことだ」そして、「あなたは大切な存在、あなたに会えてよかった」というお気持ちを伝えてほしいと思います。
告知ができないまま年を重ねた方が児童相談所を訪ねてこられたことがあります。70代の女性で娘さんは30代。「以前、ここで紹介を受けた娘に本当のことが言えていない」と。このところ不調が続いて受診したメンタルクリニックでこの話をしたら、児童相談所を訪ねて、あなた自身の話も聞いてもらいなさいと言われたそうです。
「もしかしたら何か知っているのか」「わだかまりを持っているかも」と、毎日そのことが気になってたまらないと。私は「とても苦しまれているのですね。ぜひ話をしてみてください」と、特別なアドバイスはせず、その方の思いをお聞きしました。お気持ちを整理しただけですが「わかりました。そうですね」とお帰りになりました。
それから約半年後にお見えになり「娘に話をしました」と。娘さんは知らなかったそうです。そして、「お母さん話してくれてありがとう」と言ってくれた。実は生母さんはご病気だったらしく、娘さんと一緒に会い行かれた。本当に安心したとのことでした。
竹野さんから養子としての思いをお聞きしましたが、養親としての想いもいろいろあると思います。そのためにも真実告知は「あなたが大切な人で、私たちの人生に必要な存在だよ」ということを伝えてくださったらと思います。
高橋:久保田さん、これまでの皆さんの話をお聞きになっていかがでしょうか。
久保田:最初に親側の自分の話をしましたが、この制度はやっぱり子どものためのものだということを改めて強調したいと思います。娘にどのように伝えていくか、委託を受けた日からずっと考えています。この制度のおかげで私達の家族がある。家族の絆も最初から当たり前にあるのではなく、日々の生活の中で子どもと作っていくことが大事です。例えば、私は毎日必ず写真を撮っています。「この家に来てからずっと、こうやって生活をしてきたんだよ」と見せてあげたい。また、私たちの思いを託せる素敵な絵本を読んで聞かせながら、少しずつ伝えていこうと思っています。
改めて思うのは、生みの親への感謝、敬意を決して忘れてはいけないということです。その方のおかげで、娘とのご縁ができた。こうした思いを込めて真実告知をすれば、3歳くらいの段階ではすんなり受け止めてくれると思います。
しかし、成長につれて「自分はみんなと違う」と感じることで、自分とは何なのかということを考えるようになるでしょう。もし、親が隠さなくてはいけないことのように感じていると、子どももそういう風に感じてしまうのかもしれない。養子縁組をネガティブに捉えるかどうかは、親や社会の考え方の鏡であるような気がします。親がポジティブに捉えられないと、社会もポジティブには捉えてくれないでしょう。私たち養親がポジティブに捉えて、それをきちんと伝えていくことで、社会もポジティブに捉えていってくれたらと思います。
子どもは二組の親を愛することができる
高橋:ここで情報提供させていただきたいと思います。民間団体の国際社会事業団 ISSJが養子縁組の支援の相談窓口を開いています。真実告知やルーツ探しについて情報が少なく悩んでいる方、ISSJ以外で養子縁組をなさった方のルーツ探しご相談も受け付けています。
最近は養子当事者の方も活動を始めていらっしゃいますので、ご連絡をとっていただくことも助けになると思います。
今回の企画で参加者に公開した真実告知の動画(現在は公開終了)で、家庭養護促進協会の神戸事務所の橋本さんが、アメリカの本『あなたの養子や里子の真実を告げること』をご紹介されていました。子どもの年齢や発達段階に応じた告知のあり方などについて参考になりましたが、中でも「親は複数の子どもを愛することができる。それと同じように、子どもも一組以上の親を愛することができる」という一説に感銘を受けました。二組の親を愛してよいのだということを、子どもにぜひ伝えてほしいと。そして、子どもが産みの親に対して愛情を持っても、それによって養親に対する愛が減るわけではことを覚えておいて欲しいと記されているそうです
河野:大切な話を養親から聞くより前に、周囲から聞いてしまうと、お子さんはつらいかなと思います。ある養親さんからのご相談で、まだ告知をしていないときに、子どもが保育園から帰ってきて泣きそうな目をして、「ママに自分は宇宙から来たの?」と泣いたそうです。おそらく周囲から先にお子さんに伝わってしまった。
竹野:真実告知の際に、両親の前で素直な感情を出せる人とそうでない人もいると思うので、「お父さんとお母さんには言えないけど、実はこう思っているんだ」ということを話せる支援者がいて欲しい。真実を知っている方がそばにいれば、気持ちを打ち明ける方の選択肢が増えます。支援者や味方を作ることが大事だと思います。
出自に関する情報保管と開示のあり方
高橋:続いて養子縁組を巡る課題について。廃業した民間の養子縁組あっせん団体についての報道が出ています。日本財団でも先日緊急シンポジウムを開催し、その団体経由で養子縁組なさった方にもお話しいただきました。課題はいくつもありますが、先日のシンポジウムにもご参加いただいた久保田さん、ご意見お願いします。
久保田:先ほどの竹野さんの「信頼して相談できる人がたくさんいればいい」というお話に共感しましたが、民間団体はその大きな一つです。養親にとっては、委託を受けて終わりではなく、そこから始まる悩みもたくさん出てきます。なのに、信頼できる大きな存在が急にいなくなってしまっては、ただ茫然としてしまうでしょう。
大人は他の選択肢を探すこともできますが、子どもが失うものは大きい。相談できる機関としてはもちろん、出自を知るデータを持っていて、生みの親御さんと私たち家族をつないでくれる存在です。そのデータ自体にアクセスしづらくなったら、子どもが必要な時に開示してもらえるのか。今回のケースではデータは東京都が保管しているとのことですが、今のところデータを開示しない方針、これは大きな問題です。
生みの親御さんたちのことも心配しています。養親とのやり取りは民間団体を通して行います。育てたくても育てられなかったけれど、成長記録を楽しみにされている方もいらっしゃると思います。急に情報にアクセスできなくなればどんなお気持ちになるでしょうか。ご自分で声を上げることは難しいお立場かと思いますので、とても心配です。
さらに、今回の報道では主に国際養子縁組のあり方や金銭面の部分が取り上げられました。特別養子縁組制度を考えていくときに、他にも大事な側面があります。報道機関に勤める私としては、「木を見て森を見ず」にならないようにと、自戒の念を込めて思います。
高橋:国際養子については、日本がここまでハーグ条約にも批准していないため、海外に渡った子どもが把握されていない国の問題も大きいと私は思います。この辺は改善して欲しいと思います。記録や情報開示の点について河野さんいかがでしょうか。
河野:子どもの記録はとても大切です。当事者が知りたいときに開示できる情報を収集し保管しておくことは大原則。児童相談所で扱う記録は、平成30年3月の国の通知により、養子縁組が成立した場合の記録の保存期間は永年保存されることになっています。ただし、その情報の開示の仕方はこれまでガイドラインがありませんでした。
これについて、実は2021年3月26日にできたばかりですが、厚生労働省から「情報提供の留意点」として、民間あっせん団体を通じた養子縁組であっても、児童相談所であっても同様の扱いで、という通知が出ています。
それでもまだ不十分、当事者の要望が全面的に入ったものではありません。資料を永久保存するという第一段階はできつつあるので、開示の仕方についての議論の段階です。特にセンシティブな情報が入っておりますので、実親の同意が必要であることが個人情報保護の関係でデリケートな部分になってきます。
どういう形で子どもの知る権利に応えていくのか、関心を持っていただき議論が深まることを願ってします。民間団体の廃業の問題点はいろいろありますが、特別養子縁組制度をもっとこの国で発展させるのであれば、こうした未来に向けた議論をしていく必要があると思います。
子どもの権利、養子縁組家庭への支援
石井:子ども達の権利を守るために、子どもの権利条約を批准しているわけです。その子にとって生みの親の情報が必要であれば開示の仕組みも含めてしっかりと作っておくことが、家庭で育つ権利、知る権利などにつながる。日本は子どもの権利を守るための基本法制定の動きもありますが、しっかりとした仕組みが必要だと思います。
高橋:日本財団では、子どもの権利を守る「子ども基本法」の成立を目指す活動しています。出自を知る権利もその子どもの権利の一つです。石井さん、子どものための制度として広めていくためには、どのような課題があると思いますか?
石井:妻がスポーツ少年団の役員やPTAなどの地域活動に取り組んでくれて、私もPTA会長をさせていただきましたが、社会的養護のお子さん以外にも、貧困などのさまざまな課題を抱えて我慢しているお子さんは多いです。特別養子縁組や里親制度の周知と併せて、さまざまなサポートも必要だと思います。
私は特別養子と実子と里子の養育をしていますが、埼玉県の中には実子と里子、あるいは特別養子と里子という家族構成の方もいらして、さまざまなお子さんを分け隔てなく育てています。こうした家族が日本の中に浸透していってほしいです。
それと、特別養子縁組制度や里親制度の認知は福祉の分野に偏っていると思うので、医療の分野、教育の分野などとの連携が必要。2020年2月にさいたま市で『がん生殖医療と福祉の協働』という市民公開講座がありました。埼玉県里親会の会員の中で約200組400名の方からアンケートのご回答がありましたが、里親や養親のお母さんの約2/3が不妊治療の経験者、その2/3が体外受精の経験もなさっている。その中の男女それぞれ約90%近い方が「生殖医療施設から里親制度や特別養子縁組制度の情報提供を受けていない」という回答でした。慎重さは必要ですが、早いタイミングでこうした情報提供を進めていけば、選択肢の一つであることが伝わると思います。
また、昔の養子縁組制度は親のための私的な養育だと見る向きも多く、現在の特別養子縁組も実子と同様という位置づけなので、養育支援は不要ということになっています。しかし、社会的養育の中での特別養子縁組制度の子どもである、という認識に立てば、施設や里親家庭で行われている学習支援、奨学金など教育分野の支援も検討できればと思います。年齢要件も引き上がりました。赤ちゃんからの養育のみならず、広く子どものための制度であってほしいと常々思っております。
高橋:里親家庭に対しては児童相談所のサポートもありますし、お子さんを預かってくれるレスパイト制度もあります。一方、特別養子縁組をすると、法律上は実子となり一般家庭と同様の扱いですので、こうした支援が受けられなくなってしまいます。しかし、同じように社会で育てるべき子どもを育てていらっしゃるわけですので、もう少し手厚い支援なのではないかと私も思っています。
民法改正により、特別養子縁組できる年齢が4歳から原則15歳に引き上がりました。実親の同意はもちろん必要ですが、子どもの最善の利益が特別養子縁組であると判断される場合は、児童相談所が家庭裁判所に申し立てができるようになりました。これについて、現場ではどのような変化が起きていますか?
河野:民法の年齢要件の緩和と合わせて、従来の手続きが二段階になりました。特別養子縁組をする時には一段階目として特別養子適格の確認として、子どもが生みの親を離れて違う家庭で育つべきという審判が第一段階。第二段階のこの養親さんに養育をお任せできるかの審判後、特別養子縁組成立となります。養親さんが二つの審判をまとめて申し立てできます。養子縁組特別養子の適格の確認の審判というのは児童相談所もできるようになった。というのが大きな違いです。
1年ほど経過しましたが、児童相談所長が申し立てる審判は多くないと思います。ただし「実の親御さんと暮らすのは難しい」という審判を家庭裁判所に申し立てるのが養親側であるのは負担が大きい、児童相談所が行ってもよいのではないか、という議論があります。大分県やいくつかの都道府県では検討の動きがあります。
石井:申し立てに関しては物理的な煩雑さもありますが、その子をお預かりして一緒に生活をしていこうという育てる側が、「産んだのに育てられないではないですか」と申し立てるのは重荷です。育てる側が養育者として適格かどうかの審判をシンプルにしてもらう方が、心の負担が軽くなるのではないかと思います。
河野:そうしたお話は現場でもよくお聞きします。民法は多くの方の知見やご意見に基づいて変更されたのですから、十分に活用して、よい形で運用されることが望ましいと思います。
養子縁組の未来に向けてメッセージ
高橋:最後に「養子縁組の未来に向けて」メッセージをお願いします。
竹野:私の両親は真実を隠していたこともあったせいか、子育てについて誰にも相談できず、夫婦で悩みながら解決してきたと思います。両親がケンカをすると一人っ子の私は「私のせいでケンカしている」と、とても重い気持ちになりました。真実を知らない時もそうでしたが、知ってから余計そう感じて落ち込みました。
どんなご家庭でも、ケンカをしたり、会話ができなかったりする時期もあるでしょう。それでも、お子さんの心の安心のためにはご夫婦がニコニコして、早く仲直りして、ご夫妻がゆったりと毎日前向きに過ごせることが一番大事だと思います。
養親さんの周りには、話を聞いてあげたい、助けたいと思っている方は多いはず。悩みを打ち明けてくれたら「話を聞かせてくれてうれしい。協力したかった」と言ってくれて、お互い信頼関係も深まるものです。支えてくれる方がいて、両親が穏やかに過ごしてくれることが、お子さんのためになると思います。
石井:子どもは一人では生きていけませんし、特定の人との愛着関係が築けないと、その後の発達にも影響します。里親制度や特別養子縁組制度はこうした子どものための制度であることを理解していただきたい。話せば理解してくれる人はたくさんいます。私も子どもの幼稚園時代の親御さんたちと一緒にキャンプに行ったりして絆ができました。我が家のような家庭が地域の中で特別なものではなく、みんな違った家族があってそれでいい、という考えにつながっていけばよいと思います。
高橋:参加者から「私たち夫婦は実子がいますが、特別養子縁組はできないとしても何かできることはありますか」というご質問です。
河野:ぜひ石井さんのように、養育里親として長期養育または短期養育をしていただけるとありがたいです。そこまではできない方でも、それぞれの地域にある里親制度や親子支援の応援団になってください。
里親家庭や特別養子縁組家庭については、まだまだ正しい情報が社会に伝わっていないため、「ちょっと変わった人がやること」とか「あの人だからやれるのよね」というような偏見もあります。もっとオープンに、誰もが、困っている人や子どもたちに手を差し伸べられる社会であってほしいと思います。
高橋:ある養親さんから「特別養子縁組で迎えたと言うと、お相手が言葉に詰まってしまう」とか「悪いことを聞いてごめんと謝られたりすることもある」とお聞きしました。特別養子縁組は普通にお子さんを授かったときと同じで「おめでとう」と声をかける。それが普通のことになるように自分たちの経験を伝えていきたいとのことでした。
久保田:やはり可視化していくことはとても大切ですね。人は知らないことに関しては不安がありますが、例えば周りに「特別養子縁組をしたのよ」という人が居ると、感覚は変わると思います。私は公表したことで応援メッセージいただいて安心しました。これまで密かに検討していた方、実は養子縁組をしているという方も、心の準備ができたらぜひ、皆さんにお話ししてくださるとよいなと思います。こうした声が可視化されることで、「普通のこと」と捉えていただけるのではないかと思います。
現在、不妊治療の保険適用が進むことで助かる方も多いと思います。不妊治療を続けたい方は応援していく。ただ、治療を始める時に特別養子縁組があることも知っておいてほしい。私は高校生の時に教えてもらった話を心のどこかで覚えていた。出産は難しいと判明したとき、そのことがフッと浮かび上がってくる感覚がありました。不妊治療と並列とまではいかなくても、選択肢として提示していただければ。
そして「社会みんなで子どもを育てよう」という気運の高まりを期待します。特別養子縁組だけではなくて、すべての子どもたちのために。養子縁組も一人で背負わず、何か問題が起きたら助けてくれる人がいる、自治体にはサポート制度がある、ということをアピールしてもらえたら、一歩踏み出しやすくなるのではと思います。
河野:可視化という言葉をお聞きして、納得いたしました。オクスフォード大学の里親研究にエビデンスがありますが、里親になろうか迷っている人が背中を押される一番のきっかけは、実際に里親として活動している人をみることです。実際に活動している人を見ると「私も出来そう」と思う方が多い。
特別養子縁組も特別なことではない、一つの選択肢であることが可視化され、一歩踏み出せる方が増えることで、それが何より子どものためになると思います。
高橋:その意味で、養子縁組をした方同士、里親さん同士の関わりは大切ではないかと思いますが、久保田さんはそうしたつながりはありますか?
久保田:積極的に作ろうとしています。親としてのつながりもそうですが、将来子どもが同じ特別養子のお友達を作るのは、普通に生活しているだけでは難しい。同じ縁組家族の集まりに参加して「あの子とも一緒なのね」と感じてもらえるといいなと思います。
高橋:素晴らしいですね。そうしたつながりはとても大切だと感じました。それでは最後に皆さん一言ずつお願いします。
石井:今日は男性もご参加いただいていると思います。私も会社勤めですが、男性が育児休暇を取得する時代になったとはいえ「里親登録した」「養子を迎えた」などは職場で話題にしづらいかもしれません。しかし、これからの企業はCSRやSDGsなど、社会の一員として貢献する社員を求めていますので、ぜひ男性の皆さんも積極的に里親や養親として次世代を育てていただけたらと思います。
最後に長男が学生の頃に言ってくれた言葉をご紹介します。
「小さな子どもの命を奪うことに比べれば、失いそうな命を、実親から養親につなぐことができれば、実親が育てられなくても罪ではない。それは子どもにとっての何よりの幸せなのだと思います」
高橋:子どもたちのために「みんなで子育て」をしていけたらと思っています。ご登壇の皆さま、ご参加の皆さま、本日はありがとうございました。
私たちは、社会と子どもたちの間の絆を築く。
すべての子どもたちは、
“家庭”の愛情に触れ、健やかに育ってほしい。
それが、日本財団 子どもたちに家庭を
プロジェクトの想いです。